民青の全国大会が、2月13.14.15日の3日間の日程で東京都内で開かれた。
今回の大会には、これまでと異なる点がいくつかある。
1、例年は11月乃至12月の開催だったのが、今回は大きく遅れて2月の開催になった。
*これは、事実上の「親組織」である日本共産党の大会が、これまたいつもより遅れて1月開催になり、その影響を受けたためである。青年大衆や同盟員、そして運動の最善のあり方を考えて決められたことではない。60年代にべ平連などから批判された典型的な「スケジュール主義」そのものである。
2、大会の日程が3日間に
*14日に不破哲三の「講演」を入れた影響である。
3、不破哲三の講演が大会の時間内に行われた。
*これは極めて異常なことである。青年でもなく、同盟員でもない、齢70を超えた老人である不破という人物を、なぜ大衆的青年組織であるはずの民青の最高議決機関である全国大会で、民青中央委員長や主役であるはずの青年の代議員(発言時間ひとり八分)をそっちのけにして、120分間もおしゃべりさせるのか。
民青が好んで用いる「未来は青年のものだ」という合言葉が、泣いている。これでは「大会の主役の座は不破さんのものだ」ということになるではないか。
だれのための、なんのための青年運動?
だれのための、なんのための日本民主青年同盟?
そして、その大会は、だれが主役なの?
なんのための大会なの?
予想される反論が、ないでもない。
「確かに不破さんは長時間の講演をした。けれど、それは大会全体のなかで見れば、やっぱり青年代議員の発言時間よりは少ない。大会全体では、??人の代議員が発言し、発言時間の合計は???分で、不破さんのそれを上回っている」と。
これには、いかにも共産党・民青らしい単純な数量化比較主義で、問題になっている行為の持つ意味とか、そのあり方に対する分析が欠如していると批判せざるを得ない。
大体、代議員全体とたった一人の党最高幹部(誤変換で「搭載好患部」と出ました。おもしろいので一緒に紹介)を同列に比較すること自体、おかしいのである。一方は集団の一部として扱われ、一人ひとりの独立した人格は問題にされない。そしてもう一方は、不破哲三そのひとを、評価される。不破だから、そいつの講演だから意味がある、ということである。一般の青年代議員に対する不破の特権階級的扱いは圧倒的なのであり、「代々木スターリン主義」「不破天皇制」「ふわぁしずむ」なんて言われても文句は言えまい。
まだ言いたいことがあるのだが、布団が私を呼んでいるので行かねばならないのです。これから労働力の再生産です。ではまた今度。
待ってろよ党官僚と渋谷のコムソモール官僚め!
万国の労働者・農民・青年・学生の団結ばんざい!