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一般投稿欄

人間的魅力という事

2004/2/19 日陰のもやし、40代、自営業

 2月12日付けの紀美子さんの投稿「金太郎飴を脱皮せよ」を興味深く読んだ。共産党が外部からどのように見られているかの良い例であろうしこのサイトを覗き見ているであろう共産党幹部は大いに参考にするべきであろう。
 共産党への批判はその理論的・歴史的分析から多くの方々が為されている。私自身もこのサイトに幾度か投稿し共産党はすでに歴史的役割を終えていて社会主義・共産主義は展望するがその選択は将来の国民の意思に任せて当面は資本主義の枠内での改革に徹するという一見当たり前のようでいて国民にとって特段新鮮味のある提起とは思えない戦略では共産党の自己変革はあり得ず終末への坂道をただただだらだらと滑り落ちて行くだろうと結論付けた。
 その見方は今も変わっていないが政党であれ会社であれおよそ人間の組織が発展して行くかどうかはその組織を構成する人間たちの人間的魅力に尽きるのではないかとも思っている。
 多くの共産党員に見られる事は確かに一人一人は真面目な方々であろうが言っている事は党の政策を一字一句間違わずに言うだけのような人間に見えてしまうことにある。紀美子さんの投稿に見られるような人間たちである。
 その典型がある幹部のしゃべり口調が別の幹部の口調と同じになってしまうという滑稽としか見えない現象を引き起こしている事である。一時の上田耕一郎と筆坂秀世、不破哲三と志位和夫、最近では志位和夫と小池晃参議院議員がそっくりな話し方をしているのには滑稽さを通り越して悲しさを覚えるくらいである。
 しかしそれも共産党にとっては当たり前の事なのであろう。つまりもともと共産党とは資本主義を打倒するための軍隊的組織であり個人を厳しく統制して中央の指令部に従わせる組織であるから口調までも真似て話す事が最高幹部の意思を伝達する最も効果的方法なのであろう。
 であるから紀美子さんの仰る「金太郎飴を脱皮せよ」はもちろん彼らにはそのような意識は無いしそれどころか彼らはいかに「金太郎飴」になるかを日々目的意識的に追求しているのであるから党外の善意の方々の希望に反して実現しようも無いのである。
 それでも昔は共産党には名物的党員人物が沢山いたように思う。医者であり作家であった議員さんもいたように思うし紙芝居屋の親父から市長になられた方もいたように思う。党を追われた方々にも一般社会で能力と魅力を発揮されて活躍されている方々が大勢おられる。
 今はどうだろうか?志位委員長を始め恐らくは民青から党の専従職員の道を真っ直ぐに歩いてきた方々なのであろう。一般国民と生活を共にして一般国民と同じ言葉を共有してきた人々には見えないのである。
 つまり彼らは政党として国民の支持を得たいと考えていながら自らの体質や行動はそれに反するものばかりなのである。これこそが自己矛盾の局地であろう。
 私はこの矛盾が一朝一夕に解決されるとは思わないし解決される以前にこの組織は消滅するであろうと確信に近い予感をもっている。突き詰めて言えば人間的魅力をいかに獲得できるかという事なのであるが人間的魅力の獲得がいかに難しいかを考えれば党員改革がいかに困難かがわかるというものである。
 極端に言えば資本主義の枠内での改革であろうが社会主義・共産主義の実現であろうがそれを実現しようとする人間達の人間的魅力とその人々によって構成される組織の魅力にかかっているのである。民主集中制という悪名高き組織原則がある限り党内での言論の自由もありえあずよって人間的魅力に溢れた党員がそこに存在できる余地もありえないであろうことは百も承知である。しかしである人間が人間としての魅力を発揮できるのは心の底から湧きあがる人間的な思いを自分の言葉で語ることからしか始まらないのだと思う。ならばいかなる環境であってもいかなる形であっても何かしらの声をあげる事から始めるしかないであろう。党内にいる心有る方々に期待するしかない。その事で党を追われたりまた党が機能しなくなってもそういった人材は必ずや別な分野や別な政治変革の舞台で貢献できるであろうと私は確信する。それこそが共産党が持っている人的遺産の正当な活用であると私は考えるのである。