展望台氏による早速の返答、『一般投稿欄京都市長選の数字--「桜坂智史」氏に
お答え』のご投稿にお礼を言う。
私の投稿はご指摘のように、「府知事選」と題をつけて訂正に感謝する。本文では、
「京都市長選」となっているため、趣旨はご理解いただけたようである。
展望台氏wrote
上記投稿で、私は「広原盛明氏の得票数と得票率は、90年代以降4回の同選挙におけ る共産党系候補の中で最低であった」と書きました。重ねて言いますが「90年代以降 4回の同選挙」と限定しています。どこか数字が「誤謬」なら、具体的にご指摘下さ い。
(中略)
折角のご指摘なので、少し補足します。桜坂氏は「(広原候補の得票率は)表の木 村候補、湯浅候補の得票率をはるかに超えている」と指摘されています。数字はその 通りです。しかし、湯浅候補(85年)の時は、他に新自ク推薦の有力候補が立ち、三 つ巴の選挙戦でした。また木村候補(89年)の時は、社会党・社民連推薦候補と、無 所属ながら前市助役も立ち、有力4氏の争いでした。その中で、木村候補は321票差 という惜敗で、未だに語り種の選挙だったことは、ご承知と存じます。
確かに広原候補の得票率はギリギリながら40%台であり、湯浅、木村両候補は30% 台でした。しかし今回選挙は、事実上、現職対広原候補の有力2氏の争いで、しかも “無党派層”の票を吸収しやすい、時代背景でした。80年代選挙の環境に比べると、 ちょっと物足りない数字ではないでしょうか。
以下桜坂の意見です。
展望台氏が「90年代以降」と限定したのは、最初から注意していました。なぜそこ
で区切るか、論旨が不明でしたが、今回の記事でわかりました。
私は、展望台氏が共産党系候補として得票が低いということに疑問を覚えました。
共産党は京都で、最近の選挙前の世論調査では、民主党にも抜かれ、第三位。私は8
パーセントと書いたが正確には7パーセント台ですね。その状況では、もし候補が共
産党系ならもっと得票も減ったでしょう。それが前回とおなじ40パーセントの得票
率だったのは、まったく新しい京都の選挙闘争が芽生えていたからです。
最初から「市民の会」が市民運動を進めて、広原盛明さんを擁立した。それに「民
主市政の会」が便乗してきた。広原氏はそれを拒まなかった。新社会党も支持してい
たし、社会党以来の護憲派で社民党顧問も「京都護憲ネット」をつくり支持した。全
労連と全労協の統一した京都総評も支持した。広原さんが府立大学総長だったことや
龍谷大学教授だったことなどから、広原会や大学人のネット、都市工学の専門家だっ
たことから、街づくりネットなどつぎつぎに新しい運動の形態が広がっていきました。
このような選挙で敗北した広原さんは、「日本で最初の市民派市長選挙だった」と
定義づけ、無党派と市民派の相違も明確に位置づけています。
あなたが、主題別投稿欄でも、街づくりについて京都市内も実地に歩いていない旨
を書いていたが、おなじ日に私は広原支持の街づくりネットで実際にその場所を歩い
て見学している写真を見ました。
一般的共産党候補だと決め付けてしまうならば、まったく見えてこない選挙戦の市 民派運動の重要な特質を認識されているのかどうか。そこが展望台氏の投稿ではまっ たく見えてこないばかりか、隠蔽されている。それが正直なあなたの投稿への時実感 です。
選挙は終わりました。私はネットでしかかかわっておりませんが、京都の活動家や 応援者の皆さんは、敗北を後から評論してもしかたない、新たな運動づくりへと向かっ ています。さきに意見を書いたのは、私のほうですから、反批判にも応ずる責任があ ります。ただ、今後の京都市長選にプラスになるような方向で論議したいものです。
この間の私の意見は、2月いっぱいで休止するJCPウオッ チで合計4つのスレッドで見ることができますので、関心が万一おありならごらんくだ さい。
応答以外にも、つけたしが多く失礼いたしました。