天邪鬼さん。
2月17日の「障害者と戦争」と題した、投稿を読ませていただきました。
多くの人間が忘れているのは、自分も障害者になる可能性があるということです。
例えば、糖尿病の合併症を引き起こせば、失明することもあるといいます。交通事
故に遭った時、運が悪ければ、車椅子での生活を余儀なくされるでしょう。
そういう意味では、障害者差別というのは、差別した人間にも跳ね返って来る、天
に唾する行為なのです。
私も、左の耳が感音性難聴、右の耳が伝音性難聴のため、6級の身体障害者手帳を
持っています。原因は、両方共、慢性中耳炎です。左の耳は、全く聞こえず、大事な
話は、右の耳に補聴器をかけて聞いています。
その為、就職の採用面接の時、電話の声が聞こえるかどうか、電話での受け答えが
できるかどうか、よく聞かれました。また、生協の採用試験を受けた時には、自動車
の運転免許が取れるかどうか、という事も聞かれました。
一方、私の方も、耳が悪くても、出来る仕事には、どんなものが有るだろうか、と
考えていました。ですから、事務のや営業の仕事は、最初から諦め、製造現場での仕
事をずっとやってきたのです。大学卒業であるにもかかわらず。
今から思えば、難聴であることなど気にせずに、事務の仕事を探せば良かったので
す。自主規制などせず、補聴器を使えば、電話の声は、聞こえると突っ張れば良かっ
たのです。難聴者でも、事務や営業の仕事はできるのです。でも、当時の私は、腰が
引けていて、採用担当者に対して反論する事ができなかったのです。
就職にあたっての障害者差別は、今でも続いているでしょう。それに対して、共産
党や民主団体、民主経営といわれる所は、どういう態度をとってきたのでしょうか?
共産党は、女性議員の数が多いと言って自慢しますが、障害者をどれだけ候補者と
して擁立したのでしょうか?中央委員、都道府県委員、地区委員の中に障害者は、ど
のくらいいるのでしょうか?私の知る限り、全くいないでしょう。
各種選挙の候補者や、中央委員に障害者を登用しないで、よくも、障害者の味方だ
と言えたものです。
天邪鬼さん。共産党にとって、障害者というのは、どういう存在なのでしょうか?
自分では何も出来ない、哀れむべき存在なのでしょうか?
障害者は、哀れみや、同情など求めていません。全国障害者問題研究会が唱える、
発達保障など求めていません。
求めているのは、たとえ障害が有っても、差別されることなく、健常者と同様の権
利とチャンス、生活水準が保障されることです。人間らしい生活、人間らしく生きら
れる事を、多くの障害者は望んでいるのです。
私が言いたいのは、以上の通りです。長くて、まとまりの無い文章になり、申し訳 ありませんでした。