編集部の指摘されるとおり、会社は「社会変革のための組織」ではありません。
ただ、私が言いたいのはあくまでも、目標を掲げたり取り下げたりするにあたって、目標実現の必要性や、目標に向かって活動すること自体が持つ価値よりも、目標の実現可能性を重視してはならない、ということです。それは「社会変革のための組織」のあり方を問う場合のみ、例外となるものなのでしょうか?
編集部の回答が、私の例え話の出来具合への論評と、『どうせなら労組の例えにすればよかったのに』という例え話作りのアドバイスに終始しているのには、いささか肩透かしを食らったような感じがしないでもありません。
本題に入ります。
共産党が資本主義とその支配体制そのものへの対決姿勢を失っている(あるいは急速に失いつつある)という根本的「問題を常に取り上げつづけ、徹底して批判しつづけ」ることが編集部の方針であることは承知しています。
ただそれは、共産“党全体に対して”資本主義とその支配体制そのものへの対決姿勢を明確にするよう促しつづける、ということと同義と考えてよろしいのでしょうか?
また、「部分的批判」や「びほう策」に終始しないということは、当然、党指導部や「党の生命」である綱領・規約の左派的立場からの一新をも、求めていくものと判断してよろしいのでしょうか?
共産党が資本主義とその支配体制そのものへの対決姿勢を明確にするようとにかく“党全体の”ケツをはたき続ける「ことについてはわれわれはただの一度も否定したことはない」との点から、私はそのように解釈しましたが、この解釈で間違いないでしょうか?
だとすれば、党の革命的再生を目指さない、という言葉に“目をとらわれるあまり、いたずらに動揺して”いたのは私の方だったということになります。
『さざ波通信』編集部が、共産“党全体に対して”資本主義とその支配体制そのものへの対決姿勢を明確にするよう、断固として迫り続け、そしてそれを「党の生命」である綱領・規約、および党指導部の左派的立場からの全面改訂、一新という点にまで踏み込んで具体化を目指す、との方針であるならば、私には何の異存もありません。