複数の方に当ててのメッセージですが失礼のほどお許しください。
長壁さんが帰ってききたこと嬉しく思います。その日一輪の紅梅を見つけました。
東風吹けば
おもいおこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ
やはりイラク戦争の写真展などをしていたのですね。さすがです。僕ももう直ぐ絵がかけるようになれると思います。イラク戦争を主題に描き始めるつもりだから、少しでもできたら展示してくださいね。久しぶりの啖呵小気味よく感じました。朝鮮問題、人によって危機感が違い、そのギャップにこっちがいらだちます。しかし、これが真実だと思えば100人中99人が反対しようと何回も何十回もいいつづけることが大事なことでしょうね。
ある意味ではいつも孤立していななければなりません。人々がやっとわかってくれた頃にはもっと先のことを見ているのでしょうから。ですからね、わからずやや反動的な人が出ればそのたびに反論しながら、めげないことだよ。「継続は力なり」ってカレンダーにのっていた。
体の不自由なお友達読んでくださったかしら。赤裸々で嫌だったかもしれませんが、言いたかったことは、差別こそが戦争の根源だということ。私たちほど差別に敏感な人種はいない。だから民族差別に対しても誰よりも強く怒りを覚えます。だってね、見たこともないイラク人を殺すためにはイラク人を差別する以外ないじゃないか。拉致問題で大騒ぎする人たちは朝鮮人たちをかって100万人も強制連行した、と私が何回ここに投稿してもまともな返事一つしないじゃないか。北朝鮮の政府をひっくり返せ、そんな考えが朝鮮戦争を呼び込む尖兵であるといってもまだおんなじことを言うのです。
自分の国のこの帝国主義をひっくり返すこともできないのに他国をひっくり返せというのは卑劣ではないか。食いすぎで太った腹を気にしながら、北朝鮮に経済封鎖せよ、外為法賛成などといっている連中の飯を一週間ほど取り上げてやればいいのです。おなかが背中につかねば餓えの苦しみなんかわからないのだ。
障害者を差別する人は必ず部落を差別し、朝鮮人、被抑圧民族を差別します。一方で差別をする反面この種卑劣な人種は、もう一方では卑下するのです。天皇を崇拝する者は必ず差別者です。差別と天皇崇拝は一つのコインの表裏で一体のものです。
共産党は差別者です。現実にある部落差別はもうなくなったからといって部落の戦いに立ちはだかります。部落を差別しながら天皇制を擁護します。憲法上象徴天皇は日本の共和制に抵触しないと小理屈をこねて天皇制を擁護するのです。あなたが言われるように障害者が戦争反対の行動をしようという当然の権利をも無視し差別します。新谷さんが書かれたように党幹部にも候補者にも障害者がいないという現実が障害者差別です。私たちこそが最も低いところから社会を見、最も苦しみと悲しみを味わってきた人間ですからもっとも底辺の人々の立場に立てるのです。底辺を切り捨てるからこうなっているのです。
新谷さん。ありがとう。耳が不自由なんですね。ベートーヴェンを直ぐに連想してしまったのです。差別がなくなったとか言っても就職と恋愛のときに決定的に苦しめられますね。就職差別により生きる道を閉ざされ、女性の裏切りによって人間不信に陥りますよね。ソクラテスいわく[幸せな結婚はその人を平凡にするが不幸せな結婚はその人を哲学者にする]のだって。ソクラテスの女房は歴史上もっとも有名なかかあ殿下だったのですって。僕も「金成日の独裁よりもお前さんの独裁のほうがよっぽど怖い」と妻に言うと妻は「あんたの稼ぎがよくなれば独裁を止めますって」さ。結局夫婦の関係も唯物論っていうわけです。生協でも採用されなかったって。あったまにくるなー。
僕も食い詰めては就職を探しに言ってそんな目に嫌って言うほど会ってきました。結局絵を描くほか能力がないってわかってこうしています。仲良くしようね。
愚羅虫さん、天皇問題で反論を待っているんです。完全主義でなくっていいじゃん。天皇の存在は差別と一体だってデモクラシーの点から単純にいいたくなります。天皇を憲法の枠内で論争すれば土俵が狭くないかなー。だって天皇は世俗の人間ではなく現人神だから法の枠からはみ出るんです。扱いにくいが楽しみにしています。君主でもない、もっと精神性をも含みそのためにヨーロッパの君主よりももっと強力な権力をもっている僕はそう書きたいが時間がないのです。カリスマについて天皇も宮本も池田も浅原も含めて考えるべきだろうか。議論はもっと大きく進まねばならないのに、どうなってるんでしょう。あなたの出番ですよ。
獏さん。やっぱり山之口獏を知ってましたか。僕も受験時代に読んでいたのを最近思い出したので旭屋書店で手に入れたんです。デモはたった40人で羽があってもこなかったほうがよかったよ。どんなに大声をあげても[笛吹けど踊らず。」世の中どうなってるのだろう。背中に火がつくまで解らんのだろうか。
だが思い返してみると僕が美校時代、美智子が皇太子と結婚することになり、ミッチーブームでした。いよいよご成婚、いやさ、嫁入りの日皇太子と馬車に乗るのがテレビにうつるというので同級生達は大学の外の電気屋の店先にテレビを見に全部行ってしまったので教室ではヌードモデルと二人っきりになりずいぶん窮屈な気持ちになったことがありました。僕はもちろん天皇嫌いでしたから皇太子と美智子なんか見るのも嫌だったんです。それで同級生を軽蔑しました。しかし翌年の安保闘争では僕は退学して活動に打ち込んだのだったが、安保闘争がピークに差し掛かる頃には教室が空っぽになるほどみんなデモに行ってってたんだと後年知りました。そんなふーにがらっと情勢が変ることってあるものですね。しかしそれから40年たつとみんないい年寄りになり、僕の泥臭い反戦画を紙芝居だと個展のあとで散々批判するのでした。だがその連中はみんな絵を止めてしまっているので言うのは自由だが、ミッチーブームにはしり、安保に走り、今は無気力になっているのを見れば、まるっきしだらしがない。30万党員も「不破」雷同ですものね。それでね、今回のデモたった40
・・・(文字化け)・・・。
だがね、せめて笛を吹いたら、みんな輪になって踊る時代が早く来てほしい。
踊るあほうに見るあほう、
おなじあほならおどらなそんそん
阿波の徳島って獏さんとこから遠いのですか。
いつか、反戦集会で会おうよね。みんな。「さざなみの旗」の下に集合、二次会もあるよ
「悲愴」を聞きながら・・・・・・・・・・・・再見