太平洋戦争末期。戦局の推移の中で、相次ぐ敗北と兵力の極度の消耗にともない、「国家存亡のとき、学生はペンをすてて入隊せよ」のスローガンの下、1943年(昭和18年)12月、学業半ばの学徒、推定13万人が出征した。戦没 した学徒の数は、未だに確定していないが、1949年10月20日、戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』が出版され、戦争の悲惨さを訴える若い魂の叫びが、国民の心をとらえて、大ベストセラーとなり、映画にもなって大ヒットしました。「わだつみの悲劇を繰り返すな」と、翌1950年『わだつみ会=日本戦没学生記念会』が結成された。
以来1959年『戦没学生の遺書にみる15年戦争』
1966年『第二集きけわだつみのこえ』(改題)
2000年『新版きけわだつみのこえ』完全英訳版が出版されてきました。
『日本戦没学生記念会=わだつみ会』は日本で最初の反戦・平和団体であります。
2003年12月22日には「イラクへの自衛隊派兵に反対する」声明を訴えています。その中で、戦没学生は「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人だけは・・・・・平和だ、平和の世界が一番だ」と書き残している(川島 正 『新版きけわだつみのこえ』90ページ)
『きけわだつみのこえ』の初版が出てから、既に、55年が経過した。人には夫々恩師と呼べる人が存在するように、恩書と呼べる書物があるものです。私にとって『きけわだつみのこえ』こそが、終生の恩書です。
そして今日まで、反戦・平和の礎となってきた原点です。
戦没学徒の中でも、「神風」特攻隊、回天特攻隊の壮烈な死は、自然死でも自殺でもない、紛れもない他殺死である。
純真無垢、未知なれど、多彩な才能の可能性を秘めた僅か20数歳の若者たちに、「忠君愛国」「七生報国」「八紘一宇」の「皇国史観」を強制し、人間としての尊厳も個としての人権も無視して、死に追いやった。当に、軍国主義の本質である。
末川 博氏は、初版のはしがきで、「理性を無視し知性を否定する戦争に尊い生命をささげねばならないという矛盾、聖戦といい忠君愛国という空虚なかけごえがほんとうに何を意味するかについての疑念。それを口にし筆にすることは、あの酷薄な軍隊組織のもとでは許されなかった」と。それでも彼等は、後世に書き遺した。
「こんな手紙を書いたのを二年兵に見つかれば、おそらく殺されるでしょう。」(福中 五郎 28歳 早稲田大 ブ-ゲンビル島で戦死)と云いながら。
「私は明確にいえば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。・・・・戦争において勝敗をえんとすればその国の主義を見れば事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は火を見るより明らかであると思います」(上原 良司 22歳 慶応大沖縄で戦死)
「軍隊、それは予想していた何層倍もテリブルな所です。一ヵ年の軍隊生活は、遂に全ての人から人間性を奪ってしまっています。2年兵はただ、我々初年兵を奴レイのごとくに、否機械のごとくに、扱い苦しめ、いじめるより他に何仕事もないです。」(福中 五郎 前出)
「ニューズウイーク」誌のシニアライターのピーター・プレーゲンズ氏も、(だから『わだつみ』は悲しい)の中で、「特攻隊員だった22歳の上原良司は、最初で最後の任務に赴く前夜、彼はイタリアの哲学者べネデッド・クローチェの言葉を引いて、自由は「人間の本性」であり、全体主義の国家は「必ずや最後には敗れる」と記している。では彼は、「ゆえに・・・・特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っっている次第です」という文を、どういうつもりで書いたのだろうか?」と。当にそれは、まともな人間が狂わされ、理性と知性を失った自己矛盾の結果の言葉であります。
松永茂雄 25歳 国学院大 上海で戦病死、は、云う。
「学徒は真理の使徒である。学徒の愛国は国家の真実を護ること。学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める。」更に、彼は云う。
「デモクラシーが崩壊してアウトクラシイ(独裁政治)が台頭した。ナチス・ドイツの国民社会主義の中に日本革新のイデオロギーを求めようとする政治家がある。
云うまでもなく、戦争は為政者の悪行である。この戦争を進めた指導者達が、戦後いちはやく、自らを偽り、ひた隠し、再び政治への野心を燃やし、何と多くの悪人達がまたゾロ再登場してきたか。心の底から、筆舌に尽くせぬ怒りが湧いてくる。
『第二集 きけわだつみのこえ』はしがきで、阿部知ニ氏は、「今日のように、平和の努力をするひとびとが、国内的に国際的にいくつもの仲間にわかれて、・・・・その理由は何であれ・・・・時として、たがいに争い傷つけあっているのは、あまりに悲しむべきことであり。たとえば、ここにある声などに、もう一度静かに耳をかたむける必要はないだろかと思うのである。」と。戦争は最大の暴力であり、暴力は臆病で理を失った者がふるう。戦争は平和の最大の敵である。
あれから60年、彼等の尊い、かけがえの無い生命の代償によって、反戦・平和、不戦の誓いを持ち、今日の平和を享受してきたが、きな臭い戦雲は、私たちの気持を先回りして、彼等学徒を冒涜するように漂いだした。
昨今の、聞くに堪えがたい凶悪事件、弱いものいじめの偽善の福祉・奉仕、低俗なお笑い番組、低劣なコマーシャリズム、不公正なマスコミ報道の氾濫に慣らされた今であればこそ、単なる戦争の感傷としてではなく、歴史の事実として、彼等戦没学徒の気高い、平和を渇望して亡くなって行った真のインテリジェンスの存在を語り伝えることは、ジェネレ-ションを繋げる責務ではないでしょうか。
彼等戦没学徒たちは、予知された敗戦と、無謀且つ不条理な作戦によって決定された死と対峙する中で書き遺した。
次世代へ向けての珠玉の散文集。確実な死を目前にした、残された僅かな時間、必死の中で、状況を冷静に見つめ、残る者への配慮と心遣いを忘れず、ユーモア溢れるものまで託した。当に、これが同じ日本人、23歳の若者だったのかと驚かされます。
最後に、特攻隊員の合作川柳を付記します。
・生きるのは 良いものと気づく 三日前
・未だ生きて いるかと友が 訪れる
・あと三日 酔うて泣くのも 笑うのも
・特攻へ 新聞記者の 美辞麗句
・特攻隊 神よ神よと おだてられ
・明日死ぬと 覚悟の上で 飯を食い
・沈んでいる友 母死せる 便りあり
・明日の空 案じて夜の 窓を閉め
・明日の晩 化けて出るぞと 友脅し
・雨降って 今日一日を 生き延びる
・神様と 思えば可笑し この寝顔
・人形に 彼女に云えぬ 事を云い
・真夜中に 遺書を書いてる 友の背
・殺生は 嫌じゃと虱 助けやり
・体当たり さぞ痛かろうと 友は征き
・これでこう ぶつかるのだと 友話し
・アメリカと 戦う奴が ジャズを聞き
・夕食は 貴様にやると 友は征き
・万歳が この世の声の だしおさめ
・俺の顔 青い色かと 友が聞き
・必勝論 必負論と 手を握り
・父母恋し 彼女恋しと 雲に告げ
・神様が 野糞したり 屁をしたり
・不精者 死に際までも 垢だらけ
・今日もまた 全機還らず 月が冴え
・あの野郎 征きやがったと 目に涙
・機上にて 涙の顔で 笑ってる
・還らぬと 知りつつも待つ 夕べかな
(海軍予備学生遺稿集「雲ながるる果てに」より)
作者 及川 肇 (盛岡高工) 23歳
遠山 善雄 (米沢高工) 23歳
福知 貴 (東京薬専) 23歳
伊熊 二郎 (日本大学) 23歳
※ 昭和20年4月 沖縄で共に戦死 合掌。
イラク派兵の600名、この戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』を何人が読んでるだろうか、もしこの手記を読んでいれば、事態は変わっただろう。