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障害者の反戦運動

2004/2/24 K、40代、ヒキコモリのオタク

 Kです。両手ポリオです。クタクタです。「さざ波通信」見ました。長壁さんが、私のメールをうまくつなぎ合わせて、載せていただき、天邪鬼さんがさっそく返事を下さり、とてもありがたいことだと思っております。
 私は二年半前まで、まったく反戦運動も、他の何もやったこともなく、もともとはヒキコモリのオタクの一人暮らしです。ここで交わされているむずかしい文や昔のことは何もわかりません。一回だけ投稿してみます。グチばかりになります。申し訳ございません。自力でお金をためて、東京で中古マンションを買って住んでいます。オタクはオタク同士の欲望がわかり、手が不自由なことは関係なく、小金をためる方法を見つけ出せるもので、会社勤めも自営業も何も正式な仕事に就いたことはなく、自由に生活していました。
 そこに2001年8月7日、あの教科書が全国のすべての公立学校では採択されなかったのに東京都と愛媛県の一部の養護学校にだけ押し付けられた。戦争のできる国にする教科書を、戦争の時に一番役に立たない非国民・ごくつぶしと罵(ののし)られる障害児や病弱児に押し付けるとは…。教科書の内容もさることながら、このやり方に頭に来て、テレビのニュースで、都庁前で抗議している障害者団体を見て、会員になりました。そしたら、すぐに9・11がおき、私は日本が世界が軍事力支配の世の中になっていく、福祉運動と表裏一体で反戦をせねばと活動してきました。去年、共産党に入れられました。
 石原慎太郎が1999年 9月17日、障害者施設を視察したとき言った「この人たちに人格があるのかねえ」のあとに続けて言った言葉のほうが、なお、おそろしい。それは、「こういう人たちを見ていると、『安楽死』のことを考えてしまう」と言った。ナチスの例を出すまでもなく、日本の今現在、石原だけでなく、そういう考えが蔓延しつつあります。
 天邪鬼さんの言われるとおり、私たち障害者は、まさに「自分が『抹殺される』から」、反戦運動に、存在のすべてをかけ、体を張って、命を懸けて、闘わなければならないはずなのです。そして個々の障害者の福祉運動、つまり、支援費や介護保険、施設の民間委託の問題や、福祉が市場競争のもうけ仕事になることなどの根幹にある戦争構造に反対していくことへつなげて引き上げていくべきだと思うのに、この障害者の会は、やる気がないとか、運動の温度差が低いならまだしも、反戦にかかわることを避けている。「ゆでがえる」ではなく、「ゆでる側になって生き残ろう」としているらしい。もちろん誰もはっきりそんなことは言いませんが、自衛隊の派兵や有事法制のことに触れず、反対声明などは一応出したり、都庁前で抗議もしてみるが、ポーズに過ぎず、自分たちの福祉制度の運用の改善ばかりをやっている。イラクの人が何人殺されようが、世界がどんなに自由にものが言えない社会になろうが、日本が戦争のできる国になろうが、自分たちはおとなしく、日々の生活をなんとか楽しく生きて、他のことは何も問題にせず、反戦運動なんかやり出せば、政府や行政などに悪い印象を持たれて、自分たちの福祉が削られる、と言わんばかりの態度です。既成事実にどんどん屈服し、その枠の中で改善をしていく。私は、戦争国家にするあらゆる動きに反対していきたいので真っ向から対立します。私は、せめて、やわい共産党レベルの反戦運動に参加するだけでも、さし当たっては、よかったのです。が、それさえほとんどしない。テロと戦争とを一緒くたにして反対を言うのはおかしいと、そんなレベルまで到底いかないどころか、反戦を敵視していた・・・。事務局長へのメールを受信拒否されました。
 この会から、まもなく3月に「肢体障害者の戦争体験」(仮)という本を出すのですが、天邪鬼さんがご自身の戦時中の体験を「さざ波」で書かれておられたことの総集版のような本ですが、私はその本の、あとがきか、どこかに次のように載せたかった。

 「この本に、数々書かれた、障害者が『戦争の役に立たない非国民・ごくつぶし』と呼ばれた時代を、二度と繰り返してはなりません。ここに、この本を今、発行する意義があるのです。自衛隊がイラクへ出された2004年のこの時期に発行されることは、単に『昔はひどかった思い出話』の証言集としてだけではなく、現代の日本に、世界に、高齢の障害者から、最後の命の訴えとして、今の時代がすでに戦争への道を進んでいることに反対しなければ、障害者は抹殺されるということを、この世に残し、発し続けておきたい警告書として出すのです。今、私たち『現代の障害者』はデモに参加します。自衛隊派兵や有事法制などの、戦争への道につながるあらゆる動きに反対するデモです。戦前戦中の障害者にはできなかったことです。いや、その時代は普通の人もすべて、反戦運動など、とてもできませんでした。今は、どんな重度の障害者でも反戦運動に参加できる自由と権利があります。戦時中のつらい体験を踏まえ、戦後の障害者運動をやってきた先輩の方々のおかげです。『完全参加と平等』とはこういうときに使うのです。これを逆戻りさせてはなりません。
 デモでは、車椅子の人たちや、松葉杖の人たちや、白い杖を持った目の見えない人たちや、盲導犬も一緒に、耳の聞こえない人は手話でシュプレヒコールする平和行進です。平和を願いながらの、車椅子の一歩、白い杖の一歩、手話での一歩…このような一歩ほど尊いものはない。私たち障害者は平和をつくる力を持っています。役立たずの非国民ではありません。どんな重度の障害者でも、幸せに生きていけるかどうかが、一般の人々も生きやすい、差別のない真の平和な世界をつくることにつながっているのですから。障害者こそが、戦争国家への道を止め、本当の平和をつくる先頭になるのです。」

 という文も載せてくれない。私はみんなと、そういうことをやりたかった。会は退会しました。今は落ち込んで何もできない状態ですが、ひとりで、足は動くのでデモにだけは、あちこち出ています。もし「さざ波」の旗が見つかれば、そこに集まりたいです。しろうとが、グチばかりの長い駄文をどうも失礼しました。