イラク復興支援に当たる陸上自衛隊の本隊第一陣(90人)は、4日早朝、政府専
用機でクウェートに到着。7日イラク南部のサマワにはいります。憲法を踏みにじり、
国民の反対を無視して、あれよあれよの間に、ブッシュ=小泉の傭兵の如く、大儀無
き派兵は、世界に恥を曝し、国民を愚弄し、歴史に汚辱として残されるであろう。
バスに乗って空港に向かう自衛隊員の顔を見ると、護送車に乗せられた囚人ようで、
何とも哀れで、情けない思いです。妻子や親・兄弟、恋人や友人の事をどう考えてい
るのだろう。それらを犠牲にしてまでイラクへ赴く大儀があるのだろうか? 次は、
白木の箱に納まって、無言の帰国が思い浮かぶのは、私だけでしょうか?
かって南米のチリで、アメリカに唆されたピノチェトが、合法的なアジェンデ政権
をクーデターで転覆させた時、少なからぬ将兵が、国家と国民に忠誠を尽くして戦い、
処刑された。人道支援をするなら、今この瞬間から派兵を拒否し、戦争で人命を奪い、
傷つけることをやめることではないだろうか。
自分の国の国民を守らず、ブッシュの尻馬に乗って、自らの命を投げ出すなど、愚
の骨頂、茶番である。先の大戦でも、軍人より民間人、将軍より兵士の方が多くが犠
牲になった。
陸上自衛隊の第一陣を率いる清田安志・1等陸佐(41)は、現地の記者会見で、
「日本の自衛隊はイラク復興の支援のために参りました。身の引き締まる思い。イラ
クの人々のために、精一杯汗を流したい」等と云って、サマワ市近郊のキッダ市な
ど2自治体に対し、30頭の羊を贈呈した。
ふざけるなと云いたい。イラク国民を愚弄した本音は。
「日本の自衛隊は憲法に違反し、ブッシュ・小泉の口車に乗っって、彼らのために
参りました。身の引き締まる思い。彼らのために、精一杯血を流したい」と云うべき
であろう。
1904年(明治三十七年)「明星」9月号に、泉州堺の羊羹屋の娘に生まれた与
謝野晶子は、日露戦争に出兵した実弟の安否を気づかって、詠った反戦歌「君死にた
まふことなかれ」が今、何故か強烈に脳裏に甦る。
ああをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人をころせとをしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや、
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみdっづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されむ。
忠君・愛国のこの時代、この反骨の反戦歌は様々な反響を巻き起こした。大町桂月
から「乱臣なり、賊子なり」と攻撃されたが、すかさず彼女は、ひらきぶみ(公開状)
をもって、
少女と申す者、たれも戦争ぎらいに候
「私もこの国を愛しています。しかし、女という者はみんな戦争は嫌いなのです。
近頃のようにやたら愛国心を云いたて、戦場で死ぬことは良いこととするような風潮
のほうが危険ではないですか」と、毅然として反論した。
百年前の女性にして、この気骨、今の日本の現状を考えるにはあまりにも情無い思
いがします。
共産党はいまこそ命を懸けて、率先垂範して、党の理念を懸けて闘うべきである。
自衛隊問題、天皇制問題を曖昧にしたり、選挙総括では、漱石枕流の弁ばかりで憚ら
ない。
「いまの指導部を変えたところで何も変わらない」などと云う阿呆な輩が居るが、
指導の誤りや敗北の責任もとれないリーダ-に誰が命を懸ける馬鹿がいるのか。
党を守り、党を築くために、尊い命を投げ出した先輩達の無念を考えたら、筆舌に
尽くせぬ思いがします。
革命に名を借りて、党を私物化する党首・指導部に深い憤りを覚えるのは私だけしょ
うか。革命は幾百千万人の人民によってなされるもの、その成否は、それに相応しい
指導部が不可欠であることは定石であると思いますが、皆さんは如何お考えでしよう
か。