マドリードのテロのニュースを見てはじめに思い出したのは、去年の2月15日のデモであったスペイン女性のことでした。
当日は世界で一千万人以上のイラク攻撃反対国際共同デモが行われ、私は上京して渋谷でのデモに参加しました。参加人員の半数ほどが外国の人でした。
そして私は、横にいた中年の婦人とデモの合間に英語でいろいろ話をしたのですが、彼女はマドリードから来たスペイン人だと言いました。私が2002年のヨーロッパのデモはすごかったようですねと言うと、彼女は11月のフィレンツェ100万のデモに出たといい、日本のデモは本当に数が少ないと笑っていました(そのときのデモは5000人)。
今回マドリードで多くの死者が出たことを悼むと同時に、彼女や彼女の知人が巻き込まれたのではないか、彼女も属するスペインの反戦運動が、このテロでネガティブな影響を受けるのではないかとの懸念も浮かびました。
一国の反戦世論は確固とした見識の持ち主だけで形成されるものではなく、論理的に未成熟なまま反戦運動に参加している人も多いのが現実です。そういった人々の中からこういったテロに動揺する人が出て、世論が右傾化するのが通例だからです。
そして私は今年中に、東京でテロが起こることを心配しています。そのとき起こるであろう世論のパニックと右傾化のことも懸念しています。日本の反戦運動はそういったことも考えておかねばならないと思うのです。
その対策として特別のものがあるわけもなく、私たち一人一人が多くの人々に真実を、繰り返し繰り返し語る以外にないと思うのです。
それはどんな真実か。
無差別テロは許されない。しかし世界で桁違いの無差別テロを行っているのはアメリカである。すべての死者は悼まれなければならない。世界全体の凄惨な死者数を見ず、一部の死者だけを見ることで感情的パニックに陥り、より大きなテロに荷担することは死者への冒涜である。正義は理性的に追求されなければならない。
こういった真実を私たち一人一人が、(チョムスキー氏の言葉を借りれば)屋根の上から大声でどなり続けなければならないと思うのです。