日本はサンフランシスコ講和条約以後、毛沢東の中国に対し、一貫して敵視政策を行ってきた。岸内閣、佐藤内閣は台湾との関係強化と中国脅威論を主張してきた。
この時点で、日中間の問題は何一つ解決できず、植民地支配に対する問題も、残留孤児の問題も、もちろん貿易も何一つ進展しなかった。
ところがニクソン訪中を契機に、田中・大平が国交正常化に動き出したとたん、一切の問題が解決した。
通商や情報が盛んになり、大使館ができ、人的交流が大いに進んだ。多くの残留孤児が肉親探しにきた。毛沢東は戦争賠償を辞退し、そのかわり日本のブルジョワジーから多額の経済援助を勝ち取った。
さて、日朝間はどうだろう? 戦争中は植民地支配で卑劣な支配を続け膨大な朝鮮人民を拉致し、戦後は朝鮮戦争の兵站基地として米軍を支え、休戦後も米韓日の合同演習を北朝鮮の鼻先で行ってきた。
これはまさに戦争状態の継続以外のなにものでもない。
このような中で拉致家族問題が暗礁に乗り上げ、疑心暗鬼に支配され「対話よりも圧力だ!」という声が日増しに大きくなってきた。少なくても日朝ピョンヤン宣言の趣旨は戦争状態の終焉に向けた国家間交渉の始まりを予感させたが、拉致家族という衝撃的事件の露見は、北朝鮮に対する憤怒の声を世間に蔓延させるものとなった。
かわいそうな旧社会党は槍玉に挙げられた。拉致議員連盟は自慢げにリボンをつけ北朝鮮の非情さを宣伝しまわった。
政局は外務省に方向転換を迫っていった。
拉致家族を寄越せば返すとか、空港まで迎えに来いだとか
下手をするとまた拉致されたり、他の拉致被害者問題がうやむやになるだとか、まことに低次元な腹の探り合いが始まった。
そして、膠着状態が続いているのである。
我々は、いまこそ日中国交正常化の経験に学ぶべきである。
戦争状態を終わらせ、両国に大使館をつくり、自由な人々の往来がはじまれば、拉致問題は必ず解決する。
こんな簡単なことができないのは、政府自民党が選挙目当ての世論に引きずられているからに他ならない。
彼らはいつも人民の利益よりも議席を心配するのである。