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障害者の権利擁護と医療の役割:理性主義者様のご指摘に

2004/3/13 とんび、40代、医療専門職

理性主義者様から障害と医療の関係についてお問合せをいただきました。それに応えながら、私のわかる範囲でかつなるべく簡潔に意見を述べます。

>とんび様はそのような行動(全障連の学会妨害行為)に関してうんざりする思いをした事があるでしょうか?

→これは、40代以上の医療関係者専門職なら少なからず体験しているといえます。また一部に、それらの運動を裏で先導するような専門職もいます。彼らはそれなりに理念をもち、きまじめとも思いますが、結果として日本における障害者リハビリテーションの発展の妨げになったと感じます。

>私は治療を希望する者も、治療を希望しない者もお互いが邪魔をしない事こそ理性的解決と思えますが。

→その通りと思います。付言するなら、治療を希望する人に関し、本人および関係者の十分な納得づくの説明のうえ、新たな治療技術の開発に協力してくれることも望みたいです。
例えば、日本国内ではなかなか臓器移植治療が受けられないため外国へ行く、という行動には複雑な思いです。薬害事件を通じた人々の関心の高まり、障害者プランの効果かもしれませんが、薬物療法の治験に患者団体が協力したり(創薬ボランティア)新聞広告などで呼びかけられたり、できる時代にやっとなってきたな、と感じます。

>とんび様は、医の倫理に関してどのように判断されていますか?法に明確に抵触しない限り、患者の為だけに可能な限り良心的に振舞うのが医の倫理では無いでしょうか?

→基本的にその通りです。ただし前述の移植医療のように、他者の死を前提とした医療の在り方については私はどちらかというと慎重です。また良心的に振舞おうとしても、(1)健康保険制度の改悪で比較的高価な新技術が提供しづらくなっていること、またその価格設定が外資系製薬会社の特許や高利益によることも問題です。(2)医療側の良心と患者側の思いがかみ合わない場合のコミュニケーションのありかた(なるべく水平化すること)が大切かなと思います。例えば、輸血を認めない宗教の患者に、輸血を必要とする医療を行う場合、トラブルが多いため都道府県によっては対応ガイドラインを作っています。

>少なくとも、外野席に配慮する余りベストを尽くさない学会が倫理的だとお考えですか?

→おおまかには「ベストをつくさない」のは進歩をとどめがちと思います。例えば、ハンセン病について、学会は内部の偉い人の威光もあり、人から人への感染が否定的なのにもかかわらず隔離差別政策を支えてきてしまいました。「外野席」とはどの範囲かわかりませんが、医療関係者内部だけでの運営は、専門家の暴走・思い込みを招きがちです。そのような反省もあり、最近は学会の大会当日に住民も参加するプログラムを同時に行う傾向があり、好ましく思います。同時に、精神医学の学会では、加害行為と精神疾患の関連を論じるシンポジウムが「患者団体とその支援者」を名乗る人々が演壇を占拠して中止に追い込むような行為が数年前もみられ、これは住民とコミュニケーションをとりながら医学の進歩・普及という点からはマイナスと思います。その分、外国(特に米国)からの技術のコピー・自前技術開発の萎縮(を招きがちです。

 資本主義がある限り障害者差別がなくならない、というのは一面の真理と思いますが、他方で資本主義の時代であっても技術(医療、教育、法制、社会資源)の進歩により、障害者差別の軽減は可能と思います。そのような技術面の進歩とあいまって、社会経済システムの変革により技術を広くいかせる社会、その実現をのぞみます。共産党元議長宮本顕治氏もご子息が障害児、ということをかなり早い時期にカミングアウトしました。氏への思いは読者皆様それぞれでしょうが、少なくとも、障害を隠さない生き方、という点につき医療分野の私にとって好ましく感じました。