先の3・20国際反戦デモは一応成功したものと私は考えますが、一方ではイラク攻撃前2・15デモが全世界で軽く1000万人を越えていたのに、今回の3・20デモが全世界でたかだか百万単位の動員しかできなかった(日本では増えていますが)ことも事実です。
このことが何を意味し、どのように対処されねばならないかは、国際民主主義の側からまじめに考えられなければならない問題だと思います。
私自身は今回の反戦デモの動員数は日本は増えるでしょうが、全世界では落ちるのではないかという予測はしていました(数量的には私の予測は甘かったようですが)。
なぜなら、昨年のイラク攻撃前には、いわゆる「プロテスト・ヴァージン」と言われた、今までデモに出た経験もないような政治的に素朴な人々さえデモに参加していました。そのような「素朴な人々」の参加によってデモは空前の動員数を確保しました(労働運動や党派運動をされている人々の一部にこの現実から眼をそむけているような様子が見られることは遺憾です)。
しかしそのような「素朴な人々」の多くは、イラクのレジスタンスにおける無差別テロによって占領反対の政治的確信を得ることができず、したがって今回のデモから脱落するであろうというのが私の予測だったからです。
つまり今回の3・20デモに参加した人々とは、イラクにおける無差別テロといった「見やすい犯罪」に惑わされずに、アメリカ独占資本の収奪といった「見えにくい犯罪」の方が比較できないほど大問題なのだということを、感覚的にせよ理論的にせよわかっている人々に限られたと私は思うのです。これが私が考える国際デモ動員数激減の理由です。
逆に言えば世界中にそこまで自覚している人々が数百万人いるということですし、また3・20直前のスペイン無差別テロでスペイン世論が右傾化しなかった背景には昨年の反戦デモの高揚があると見られ、今回の激減を特に悲観視する理由はないと私は思います。「一応成功」と冒頭に述べたゆえんです。
しかし私たちがおさえておくべきことが二つあると思います。
一つは、無差別テロと一戦を画すことを(支持されるべきレジスタンスと混在して難しいのですが)保持し続けることです。
今一つは、「自覚している人々」による「素朴な人々」への「見えにくい犯罪」を知らせる働きかけを強化することです。
各組織、また個人(私自身もこめた)が上のような意識をもつべきだと私には思われるのです。