昨日の日曜は空は晴れ春風にひかれて電動に乗ってさんぽしました。草むらや,花壇、人の家の植木鉢を覗き込んでは花の写真をとっていました。菫、チューリップ、菜の花,水仙、たんぽぽ、春の花々が一斉に咲き始めたのです。神社の公園は桜の木がたくさんあります。遠くから見ればまだ一。ニ本しか咲いていないのですが公園に入るともうござが、あちこちに敷かれ大人や子供が座ったり遊んだりしています。そしてあたり一帯、焼肉のいいにおいがぷーんと漂います。僕も酒屋に行って「鬼殺し」2リットルのパックを買ってきて車椅子に座ったままで飲みました。酒酔い運転で引っ掛けられる恐れのない程度にです。
なぜ日本人は桜の花の下で酒を飲むのだろう。この風習は浮世絵にもあるからずいぶん昔からのものですね。もしも桜が満開でもその下で酒を飲んだり遊ぶ人がいなければ、桜の風景は本来寂しい風景ではないかとあらぬ想像をしていました。ワシントンの桜の花の下でも酒を飲むのだろうか。
hpが消えたのでショックです。今日は工事中です。さざ波の絵をほめてくれてありがとう。そうだね、世界の海岸にあのようなさざ波が「ひねもすのたりのたり」と打ち寄せてほしいものです。
砂浜をはだしで歩くのがお好きな奥さんに渡した貝殻の話、ジンと心に響きます。詩人クオリア。
今週は万博に一人で行こうと思います。民族博がすきなのです。世界の民族の生活用品や衣装を見ていると芸術に「家」と言う字はいらないとつくづく思います。いまどきの大家でござれアフリカのジャングルの裸の人たちが作った壷やお面よりも感動できるものを何一つ作れないのですから。芸術とは人の肌のぬくもりである。エヘン,オホン。
ねずみの話まったく恐ろしく現代人に類似しています。日本人の場合、集団自殺に駆り立てられる直接の動機は新聞とテレビにあると思います。テレビ付けの日本人にとって世界はテレビであり、脳みそもテレビに預けられているからテレビによって、「拉致騒ぎ」が日本中を駆け巡ったんだったよ。(埒もねぇー)。テレビによって自衛隊派兵も、憲法改悪もなんだってござれなのです。今に日本人はテレビの前でマインドコントロールにかけられて、ねずみのようにあとから、あとから大群となって走り出し、海辺で停まろうにも後ろからどんどんやってくる大群に押されて海に飛び込んで、みんな波に飲まれて死んでしまうのである。すでに改憲賛成は60パーセントになった。テレビのコマーシャル料は資本家が出している。当然テレビはブルジョアジーの利益のためにあります。
日本中のテレビをぶち壊せ。 再見