投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

反骨のアーチスト!天邪鬼殿へ

2004/3/31 クオリア、60代以上、労働者

 春うらら、負けても負けても走り続けるハルウララ。
 人馬一体ならぬ騎手が悪いのでしょうか?
 HPが突然ショート、ショックなのは私の方です。
 そこは、慌てず、急がず、落ち着いてじっくり、よ~く考えよう。私の知り合いな どは、半年も更新をしない猛者もいます。「為せば為る、為さねば為らぬ何事も、為 らぬは人の、為さぬなりけり」「案ずるより、生むがよし」いいコマーシャル(仕事) が出来て結構ではないですか。時間はたっぷりあります。
 チャレンジ・アタック頑張って下さい。

 天邪鬼殿を見ていると、鈴木東民を彷彿させられるようだ。
 大正十二年、大阪・朝日新聞に入り、日本電報通信社特派員を経て、読売新聞外報 部長、論説委員、編集局長を歴任。
 戦前の特派員時代にナチスドイツを批判して国外に退去させられ、帰国しては戦争 を批判して軍部から出筆禁止処分をうけ、戦後は読売新聞労組の生産管理闘争を指導 して社を追われ、釜石市長(三期十二年)となってから、「城主、新日鉄釜石」に抵 抗、ついには大企業の力によって、市長室からも追放されることになった。ヒットラー 、天皇制軍隊、マッカーサー、そして新日鉄と闘い。ついに孤立して故郷を去った鈴 木東民。
 その反骨の一生と精神は、今も語り伝えられている。
 さざ波の反骨のアーチスト、天邪鬼殿、奥さんの闘いを支え最後まで頑張って下さ い。

  「なぜ日本人は桜の木の下で酒を飲むのだろう」
 暇つぶしに、調べてみました。
 春になると、サクラの木の下で花見弁当を広げて、酒を飲む。こんな光景は、おそ らく世界中広しと云えど、日本だけではないでしょうか?花の種類の多い中、チュー リップやカーネーションを見たところで、花見で一杯とはいきませんね。
 日本の旧国名に「サガミ」という名前があります。
 「古事記」・・・・相武
 「日本書記」・・・相模
 (「古事記」の方は、相模国と相武国との総称かも知れない)[サガミ」という言 葉は、発音通り「サ神」という神様の名称だとされ、「サ神」という神は山の神であっ たらしく、福島県・山形県・新潟県の山地狩人たちは、山の神を「サガミ様」と呼ん でいます。
 昔の人たちは、山の峠を越えるときには、山神に向かって、手を合わせて、無事を 祈願したり、感謝したりしました。
 テムケ(手向け)→タムケ((手向け)→タウゲ→トウゲ(峠)と、峠の言葉が生 まれたと云います。
 山神を礼拝するときに、立ったままでは失礼なので、しゃがんで合掌したと思われ ます。この「シャガム」という言葉も、サオガム(サ拝む)→シャオガム→シャガム と、「サ神」を礼拝する姿勢から生まれた言葉と思われる。
 「サ神」には、お供えが大切です。最も欠かせない重要なものが「サケ」(酒)で す。神前にササゲル(捧げる)つまり、ササとは笹(酒)を意味する。また、ササゲ ルとは、「サ神」が下げ渡すものが、原意です。
 サクラのクラとは、古語で、神霊が依り鎮まる座を意味したと云われ、イワクラ (磐座)やタカミクラ(高御座)などの例があります。カマクラも神クラの変訛です。
 故に、サクラ(桜)の木の下でサケ(酒)を飲み、ご馳走を食べる由縁がご理解出 来ると思います。

 桜と云えば、自衛隊、警察の代紋です。
 「花は桜木、人は武士」と云う言葉があります。
 昨今、「ラスト・サムライ」とか「たそがれ清兵衛」の映画の精か、「サムライ」 や「武士道」つまり、新渡戸稲造の「武士道」や武士倫理の必携書ともいうべき、 「葉隠」「葉隠論語」が、内外で話題となっています。
 その中身は、死と非合理性の病的なまでの崇拝、軍事的慣行(モレス)を扱った書 物で、「義務の前に死を省みるな」と教え、「葉隠」は更に、「結果などお構いなし に、死ぬことそれ自体を衷心から望ましい目的として賛美」している。
 そこで「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて早く死ぬかたに 片付くばかりなり」と。
 当に、精神病の沙汰である。パッと咲いて、パッと潔く散れと。誰のために、何の ために、「忠君愛国」「皇国史観」が故に、この愚かさは、歴史の中で、既に実証済 みです。
 それが、今また愚かにも繰り返されようとしている。

 江戸中期に、封建的身分制度を真っ向から否定し、平等な社会を提唱した革命的な 思想家がいた、医学・本草学を学び、八戸で町医者を開業していた安藤昌益である。
 カナダの外交官、H・ノーマンにより、「忘れられた思想家」として戦後に紹介さ れている。
 彼、安藤昌益の思想の根本は、農耕と農民こそが最も尊いものであって、士農工商 という身分差別をなくし、支配と被支配のない社会を作ろうというものであった。
 人が差別される社会を「法世」とし、それと対比される理想社会を「自然世」と規 定した。「自然世」とは、全ての人が自然の理法のままに農耕に従事し、自給自足の 生活をおくる平等社会であるとした。当にこれは、日本に於ける空前とも云える思想 にして、且つ革命的な思想であった。
 共産主義理論を考え出したとされるマルクス・エンゲルスよりも百年以上前にであ る。  昌益は、「将軍や大名は、あるいは武士階級の者たちは、武力を背景にしてふんぞ り返っているが、決して美しくもなければ、偉くもない。何故ならば、彼等武士らは、 土地を心を込めて耕すこともなく、それどころか、農民たちが心を込めて作っったも のを貪り取っていく盗賊であり、農民たちが、税が高いと直訴に及べば、武士たちは、 武力をもって農民たちを殺戮したり、主君の為には、腹をも切る獣である」と痛烈に 扱き下ろしてるから痛快である。武士とはそんな者です。

 「イラク派兵」の自衛隊も、このサムライ気取よろしく、装甲車に「日の丸」の代 紋と毘沙門天の「毘」なるペインティグを施して粋がっている。いずれ上杉謙信の軍 旗に絢かってのつもりだろうが、上杉軍には「毘」と「龍」の二つの軍旗があり、 「毘」の旗は、各隊の陣地に、「龍」の旗は、総攻撃の時に、この二つの旗は、常に 一緒でなければなりません。
 つまり、「毘沙門天」と「不動明王」は常に対の関係で祭られており、一つの旗で は、意味をなしません。
 何とも漫画チックで、レジスタンスにやられるのを待っているようなもので、滑稽 を通り越して、情ない限りですね。

 書きだしたら止まりません。このへんで割愛・落筆、次回に譲ります。レス宜しく お願い致します。