マルクスの時代の共産主義者同盟は、アナーキストと共産主義者の同盟だった。
マルクスは、アナーキストは考えに合わないからと言って、アナーキストを排斥したりしなかった。
共産主義であろうと、社会主義であろうと、いろんな考え方があって、当然なはずだ。
ところが、スターリンはレーニンを利用して己を神格化し、己に従わない者は、革命の裏切り者・スパイ・挑発者として排斥・弾圧した。
今日の日本共産党は、まだ、この時代の共産党から完全に決別できていないように思われる。
党は、様々な社会主義の考え方を受け入れるべきだ。
共産党が一枚岩を維持する限り、共産党中央と異なる考え方をする社会主義者は、共産党に魅力を感じないだろう。
先ずは、党中央と異なる見解であっても、意見を公表する権利を認めるべきだ。
これは、基本的人権と同じようなものじゃないだろうか?
「公表したいなら出てゆけ」と言うような政党が、果たして、国民の基本的人権を守れるのだろうか?
それから、党中央の意思決定過程を公開で透明なものにすべきだろう。
党内の論議が、不透明であれば、国民は信頼できない。
党員、一人一人が、党の主人として、考えるような党になるべきだろう。
そのためには、党中央の議論を、公開で透明なものにすべきだろう。
今日のような秘密主義は、考えるのは、党中央で、党員は中央の決定を学び、実践するだけでよい、という構造になっている。