このサイトは議論のためのサイトであるべきであり、たとえ切羽詰った気持ちを持っていても、相手が反動の立場だと思っても、できる限り排除によらず、議論によって説得するべきだと思います。
このサイトまで民主集中制になるのでは、何のためのさざ波か分かりません。今は革命直後のフランス・ロシアではないのですから、単純に敵・味方、革命・反革命の断定をせず、議論を通す事によって、問題認識も発展すると思うのです。私自身の課題でもありますが、反対意見をねじふせず、根気よく議論し続ける事で自分の意見も発達して、より強固になっていくのだと思います。反動と思われた反対派の意見によっても、知らない事を知ったり、自分の意見が補強されたりして、一層反対運動をする上での理論も確かなものになっていき、説得力を持ってくると思います。
自営業の人は安いので、産経新聞を取っている人が多いです。自分が反動と思った人を反動と思わず、できるだけ普通のおじさんだと思って説得をすれば、理論も高度化するのではないかと思います。私自身、感情的にならず、「出て行け」と言わずに冷静に議論し続けるのは難しいでしょうが、民主主義・ディベートの過程が大事だと思うのです。
酒鬼薔薇事件でも少年が逮捕された事よりも、はじめ黒いビニール袋をさげた中年男性や白い車が目撃された証言がありながら、少年が容疑者となっていった過程が最も大事であり、ここをマスコミは重点的に報道しないといけないのです。「冤罪の可能性はないの」という言葉はまずマスコミが少年の人権を守るために母親が言う前に言うべき言葉だったのです。警察発表を鵜呑みにするだけなら、ジャーナリズムではありません。松本サリン事件以後、マスコミは個人の人権を守るために国家権力の発表を吟味する役割を果たしてきたでしょうか。マスコミがただのカトリック絶対の魔女狩り異端審問会になっているのではないでしょうか?論をつくるには、過程を大切にしていきたいものです。