この国は、どうなってしまうのだろう。
国民の八割以上が、さまざまな不安を抱きながら、日々の生活を営んでいること
は、今更、語るべくもありません。
多くの人々が、平和と政治の刷新を願っているのに、与野党ともに、延々と続く、
相変わらずのスキャンダルで、政治不信は深まるばかりです。
自民党の支持団体である日本歯科医師連盟による不正献金事件。公明党の支持母体 である創価学会幹部の451万人にも及ぶヤフーBB個人情報流出事件。民主党佐藤 観樹・元自治大臣の秘書給与詐欺事件、などなど、上に立つものの倫理観など、どこ 吹く風といった観さえ致します。
これでは、一般国民に、いくら、「痛みに堪えて」と言われようが、もう、耐える
気さえしなくなっても、不思議ではありません。
国民年金の掛け金不払いなどを見ると、ある種の「抵抗権」の行使とまで、考えた
くもなります。
司馬さんも、また、「日本という国は一体どうなってしまったんだろう」と、いう のが、晩年のお気持ちであったようです。
去る2月で、司馬さんが、急逝されて、早8年の歳月が流れました。
司馬さんの亡くなられた前年(95年)は、地下鉄サリン事件が起こった年です。 多くの若者たちが、「カルト教団」に心を掠め取られ、「平然と」、大量殺人をやっ てのけました。
その後も続く、若者の「荒廃」に対して、この国の「指導者」たちは、自らの行い
に、襟を正そうとしてきたでしょうか。
若者たち、子供たちだけに、厳しく当たってはいないでしょうか。
私たち、一般の大人は、はたして、どうでしょうか。
子供たちは、生まれる国を選べない。生まれる社会を選べない。生まれる時代を選
べない。そして、生まれる親さえ、選べない。
そうやって生まれてきた子供たちに、私は、これまで大人として生きてきた責任
を、一人の社会構成員として、私なりの責任を感じています。
子供たちが、少しでも、生まれてきてよかったと思える国であり、社会であればい
い、と思っています。また、そうしたい、とも思っています。
ある、小学校の国語の教科書に、司馬さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」と題
する一文が掲載されています。
新聞にも取り上げられたので、読まれた方も多いかもしれません。
その中で、
> 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それ に土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、 それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きるこ とができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
> ――人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもた げた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代と いって いい。
> この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待で もある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
> そうなれば、21世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろ う。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合う ようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。
> 「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
> みな似たような言葉である。この3つの言葉は、もともと1つの根から出てい るのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身に つけねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の 中でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根 づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そう いう自己をつくっていけば、21世紀は、人類が仲よしで暮らせる時代になるのにち がいない。
というようなことなどを、語っておられます。
私は、このような司馬さんの想いに、共感するものです。
司馬さんは、この文の中で、「私の人生は、すでに持ち時間がすくない。例えば、
21世紀というものを見ることができないにちがいない。」と語られ、すでに、ご自
分の死期を覚悟されていたように思えます。
そのような時期に、子供たちに、この一文を作成する為、「大河小説なみに神経と
時間を費した」と、司馬遼太郎記念館の説明文には、記されているそうです。
もし、読まれておられない方がおられましたら、一読されてもよろしいかと思いま
す。
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しかしながら、司馬さんの捉えられる「この国のかたち」と、私の考える「この国 のかたち」には、やはり、違いがあります。
司馬さんは、端的に言えば、日本の歴史における天皇というものに、何がしかの 「愛着」あるいは「親しみ」のようなものを感じておられるように、私は、受け取っ ています。それは、一方で、権力的存在ではなく権威的存在として、長年、日本とい う「国」に「君臨」してきた、ある意味、「伝統」というものに対する、司馬さんの 敬意なのかもしれません。
しかしながら、司馬さんと私は、親子ほどの年齢差があり、司馬さんは、戦争を兵 隊として経験された方ですが、私は、「戦後民主主義」と呼ばれる時代の中で、生ま れ、育ち、ものごころ付いてから、自由と平等の理念というものをこれからの社会 で、いかにすれば築いていけるのか、ということに関心を抱き続け、今に至っている ということから来る「違い」なのかもしれません。
司馬さんは、天皇というあり方に対し、「天皇制」という言葉さえ、「えぐい」と 表現されております。あるいは、明治憲法下の天皇に対して、無答責論を採っておら れるようです。このような点は、私とは、考えが違っております。
「坂の上の雲」と題される小説における歴史認識についても、私としては、同じ様
に、同意できない部分があります。
また、同書は、「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」などとは、特に、異質なものである
ように、私には、思えます。それは、主人公の生きた時代が異なると同時に、描いた
司馬さん自身の「人生の歴史」が異なっていることと、関わりがあるのかもしれませ
ん。
ただ、龍馬と土方を描くにしても、ある歴史、時代という中で、その立場の違いを
理解しつつ、人間とその生き方を描こうとする司馬さんの姿勢が、「坂の上の雲」に
おいても、秋山兄弟を肯定的に描いたことに通じるものであったように思います。
そのことは、司馬さん自身が、よく語っておられた、兵役時代の、国民を守るべき 軍隊が、作戦上とは言え、避難して来る自国民を「轢っ殺して行け!」と言い放った 上官、あるいは、軍隊というものに対する憤慨の気持ちを抱きつつも、実際には、そ ういう事態に遭遇しはしなかったけれども、「上官の命令は、天皇陛下の命令と思 え」という教育を受けた軍人として、従わざるを得なかったかもしれない、という経 験から、描かれていたのではなかろうか、と考えています。
司馬さんが、天皇というあり方に、何がしかの「敬意」を抱かれておられたとして も、日本というこの国には、アイヌという少数民族や琉球王国としての歴史を有し、 北海道民、あるいは沖縄県民などとして、現在、生きておられる方々がおられます。 そうした方々の、歴史、文化を始めとするさまざまなものに対する想いについても、 やはり「敬意」を払う必要がある、と私は、考えます。
このことは、司馬さんが、敬意を払っていない、という意味ではありません。た だ、私が、その辺りのことを、司馬さんがどのように捉えられ、お考えになられてい たのか、よく分からない、あるいは、よく知らない、ということに過ぎません。
アイヌは、歴史の中で、コシャマインの戦やシャクシャインの戦などの蜂起に見ら
れるように、松前藩などの和人支配に抗して来ました。しかしながら、明治政府の
「皇民化」政策により、その独自の歴史と文化を否定され、「旧土人」と称され、差
別されるという状況が、長く続いてまいりました。
その「北海道旧土人保護法」が廃止され、「アイヌ文化振興法」が制定されたの
は、ほんの数年前、司馬さんの亡くなられた翌年の1997年のことでした。
また、沖縄では、武力による威嚇の下、「琉球処分」という形で、国王尚泰に首里 城を明け渡させ、1879年、琉球王国は滅亡してしまいました。
現在、国土面積の0.6%にすぎない沖縄には、在日米軍基地の約75%が配置さ
れております。現行の選挙制度の下では、他の地域から選ばれた国会議員が、これら
の「少数派」の方々とその実態に対する考慮・配慮がなされなければ、地位協定の改
定も、「運用の改善」という掛け声だけで、相次ぐ米軍兵士による犯罪に対しても、
公正な捜査が行われないという状況など、抜本的解決がなされません。
それには、国民一人ひとりの、応援が必要です。
近年、その根本である安保条約を見直そうという国民の意識も、強まりつつあるよ
うに、思います。
昨年の、毎日新聞の世論調査によれば、
「安保条約を維持すべき」…37%。
「安保条約ではなく友好条約にすべき」…33%。
「安保条約をなくし、中立になるべき」…14%。
「安保条約をなくし、他の国と同盟関係を結ぶべき」…5%。
となっており、「安保肯定論が三分の一強にすぎない世論と、将来にわたって維持す
る構えの歴代政権の方針には、深刻な乖離がある」と、報じられています。
後藤田正晴氏のような保守政治家からも、「友好条約に」との声が、上げられてお ります。
私は、これまでも述べてきましたように、国家の最高法規である憲法に、「生まれ ながらにして特別な存在である人間」を肯定する天皇制を規定することには、反対の 立場に立つものであり、これからも、いろんな機会に自分の考えを語って行こうと 思っています。
しかし、歴史において、天皇家の一員である聖徳太子が語ったとされる、「和を もって尊しとなす」という教え自体は、日本人の一人としても、誇りにすべきもので あろうし、日本のアイデンティティと呼んでもいいのではないか、と思っています。 ただ、それを、内輪だけ、業界内だけの「談合」のように、曲解されては、困りも のですが、そうした“和”の精神こそが、先の戦争に対する反省とともに、憲法前文 および9条を支えてきたのではないだろうか、と考えます。
にもかかわらず、日本の「指導者」は、憲法前文における「政府の行為によって再 び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という部分を、敢えて外 してまで行った演説によって、「国際貢献」「国際協力」という美名の下に、大義な き戦争を支持し、自らも認めた、「自衛隊」という名の「軍隊」を、未だ、戦闘の続 くイラクへと、派兵しました。
日本の、和の精神は、外国に軍隊を送ることではなく、世界中で武器を売りまく
り、「戦争ビジネス」を行う勢力に対し、平和を願う世界の民衆とともに、粘り強く
軍縮を訴え続けることである、と私は、思います。
その政府を動かすのは、国民一人一人の声の集まりである世論と行動です。
私は、これからの「この国のかたち」を考える、日本人の一人として、歴史に学 び、過ちは、真摯に反省し、「人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあ がった考え」をもたげることなく、アジアのみならず、真にグローバルに、「共生」 の社会を目指しながら、ささやかな行動を続けながら、Think Globally , Act Locally ! の精神で、生きていきたいと考えています。
加藤哲郎氏のホームページの巻頭言に、
「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平 和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳 的優越性がある」(丸山真男)
と掲げてあります。 「平和、平和と言ったって、平和は守れない。」と言い切ってしまう方もおられま すが、言い続けないと、それこそ、ボタン一つで、戦争になってしまうと思います。
3月20日(土)のWORLD PEACE NOW 主催のトーク・ラリー、
ピース・ウォークも、目前に迫りました。
「さざ波」に集う皆さん。ROMしているだけの多くの皆さんが、一人でも多く、
参加されますことを、他の皆さんとともに、私も、呼びかけたいと思います。
家族や仲間とともに、あるいは、個人でも、参加され、パレードで隣を歩く皆さん
に、声をかけて歩きましょう。
皆、平和を願うことに関しては、同じ想いなのですから。
少しでも、よりよい「この国のかたち」を願って。
少しでも、よりよい「この星のかたち」を祈って。
+++++++++++++++
勘太郎さまへ。
初めまして。自分の愚かさを恥じ入りながら、アントニオ・グラムシに対する敬意
を抱く一人として、僭越ながら、愚等虫と名乗らせて頂いている者です。
これまでの勘太郎さんのご投稿には、大いに共感しながら、拝読させて頂いており
ます。
上記の文は、勘太郎さんの北朝鮮欄におかれますご投稿に、若干、司馬さんに厳し
すぎるかなという感じを受けながら、書いたものです。
私は、司馬氏論を語れるほど、司馬さんの作品にも、また、いわゆる「司馬史観」 にも、精通するものではありませんが、司馬さんは「日本」と「日本人」ということ に、大きな関心―ある意味「こだわり」と言ってもよいのかもしれませんが―を、お 持ちだったように思います。
生まれた「くに」というものや、自分というものの「ルーツ」に意識が向くこと は、それほど不思議ではないと思いますが、司馬さんの場合、若き日の戦争体験が、 逆に、本来の日本人は、こうではない筈だ、という思いを強く意識されていたことの 「反映」ではないだろうか、と考えています。
司馬さんは、「この国のかたち(一)」のあとがきに、
> 軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来の ために死ぬなら多少の意味があると思ったりした。
が、ある日、そのおろかしさに気づいた。このあたりが戦場になれば、まず死ぬの は、兵士よりもこの子らなのである。
終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。
(むかしは、そうではなかったのではないか)
と、おもったりした。
と、述べられております。
しかし、そうした意識の「反映」した作品が、「学術的に」正しい歴史認識なのか
どうかは、別問題であろうし、また、発表後に明らかにされる資料や事実もあるだろ
うとも、思います。
昨年の「坂の上の雲」のドラマ化のニュースには、私自身、驚きでした。
それは、司馬さんは、生前、「この作品だけは、映像化を許さない。映像化される
と、いろいろ、誤解されるかもしれない。」という旨、述べられていたからです。
そこに、司馬さんの良心を、私などは感じていましたので、NHKが、どのよう
に、司馬夫人を説得したのかは、分かりませんが、亡くなられた後に放映されるとい
うことになったことについては、私個人としては、非常に、残念です。
司馬さんと私は、いろいろな意見の違いはあるにしても、龍馬や土方の生き方を描 き、二十一世紀を生きる子供たちに、自然と人間の共生を語られ、子供たちの感想文 に返事を書かれていた司馬さんが、私は、やっぱり、好きであることに変わりはあり ません。
勘太郎さんの、「社会主義はベネズエラで元気に生きている」と題されます、ご投 稿も、大いに共感しながら読ませて頂きました。これからも、いろんな視点からのご 意見を、お聞かせ下さい。
天邪鬼さん。
私は、元気に、日々、自分のやるべきことを、僅かながらですが、やりつつ、過ご
しております。20日には、場所は違えども、同じ空の下、同じ想いで、歩いて行き
ましょう。
空を見上げると、きっと、私の想像する天邪鬼さんのお顔が、浮かんでくるよう
な、そんな気がしております。
長壁さん。
WPNの精神である、「自己責任と他者へのリスペクトをもって」、歩いて行きま
しょう。
人文学徒さん。
語る機会を失ってしまいまして、すみません。人生、いろいろなことが、起こりま
す。また、ゆっくり、私の想うところを述べさせて下さい。
お読み下さいました、皆様。有難うございました。