20日、凍りつくような冷たい雨のなか、文字通り、私はあたまも顔もカチカチに凍ってしまいました。大体用意が悪い方ですので、まさかあれほどどしゃ降りにならないだろうと、甘く見ていたこともあり、泣きたくなりました。
正午といっておきながら、15分も遅刻し、礼の楡の木広場に向いました。公会堂前に向うとき、松葉杖の男性が目に入り、「天邪鬼さんですか、長壁ですさざ波の」と声をかけると、「やあ」と、それからは、もう、何年も前からの旧知のように、話も弾み、不思議な感じでした。
私は、血のつながりとか、たまたまの同じ釜の飯なかまというのは、あまり感動しない方ですので、やはり、価値観とか思想に共鳴できるひととは、瞬時に解けあえるようです。
それにしても、天邪鬼さんの元気のいいこと、雨合羽の端々から、特に布製の帽子を被られたていたので、毛管現象で、じわじわと雨露がしみわたり、さぞや冷たかろうと、おもったのですが、最終地にきたとき、手で帽子をしぼりながら、「頭を冷やした方がいいようですから、ちょうどいいんですよ」と・・・
クオリアさん、わたしへのあり余るご丁寧な「さざ波のお満さんへ」は、もったいないです。たぶん、ほかのみなさんに嫉妬されるかもわかりません。なんだか、最近、わたしひとり、でしゃばっているようで、どうしたものかと、思うこともあります。
クオリアさんのことを天邪鬼さんが、しきりにお話されるので、天邪鬼さんにも投稿があったことをお知らせしながら、いろいろと・・・天邪鬼さんですか、たぶん、ういういしいメールでの熱血青年は間違いないのですが、外見はやはり、クオリアさんといい勝負、芸術家風の苦みばしった迫力ある紳士です。私は目はその人となりを表すと思うのですが、やはり、視線は鋭いかなとおもいます。刑事の目のするどさでなく、心の光の鋭さといっていいのでしょうか。感受性が目にあらわれているのでしょうか。ま、私のいい加減さや利己的なところなど、今回はばればれだったとおもいますよ。
クオリアさんの奥様曰く「心が美しくなければ、人の心はわかりませんよ」とは、真実だとおもいます。目が見えるということは、余分なものまでいっぱい見えすぎて、心が疲弊しきった現代人は取捨選択ができないまま、汚い心で、汚いものしか見てないのかもしれません。お二人が素晴らしいと認める、指揮者、画家、詩人の共通の存在、しかも、「反戦、平和のわだちを」残された面々とはスゴイです。
天邪鬼さんもクオリアさんも、もしかしたら、この共通の存在の一人なのでしょうね。そんな気がしてきました。
ともかく、20日は、冷たい雨にめげそうになりながら、天邪鬼さんの熱血に支えられながら、日比谷3万人の一人になりました。今後、天邪鬼さんは、自身のHPで、画を披露してくれるということですし、反戦の礎を固めるべく、同好会てきな場になればいいかなと、希望してますので、どうぞ、天邪鬼さんに集ってください。さざ波の庭という感じでしょうか。
クオリアさんのような言葉のセンスあふれる味のあるお方の登場で、今後は、さざ波、さざ波の庭は、さらに、磨きがかかることでしょう。楽しみです。
私は、すでに、浅学非才さを最初から披露してますが、どうぞ、今後とも、ご教示いただければありがたいです。年のわりには、ほんとうに、井の中の蛙であることは、自分が一番よくしっておりますから、クオリアさんのようにさりげなくご教示いただけると、素直になれるものです。
おっしゃるとおり、「弱者の立場」「弱者の目線」でこそ、真実が見えてくるというものです。殺される側にこそ、信じると正義があると思っています。私はブッシュが「自分かテロリストの側か」といったとき、間違っても、「ブッシュの側にはいかない」とおもいました。つまり、弱いテロリストの側から真実をみてきました。
昨年一年間、この視点にこだわってきましたが、情勢はある意味、好転してきたとはいえ、相変わらず、テロの土壌でなく、テロと戦うというブッシュの戦争を肯定しています。日本のメディア、世論ばかりでなく、世界世論も、そうした西側大国の視点を崩そうとしませんね。
全メディアが翼賛体制報道を敷いている現在、どこからせめていいのか、気が遠くなるばかりです。
ともあれ、みなさんのなかに多くの志を感じつつありますので、信頼したいと思います。
最後に、全国各地で反戦デーを戦われた皆さんにエールを送りたいと思います。もちろん、こどもたちとのレクリエーションのクオリアさんも、形を変えた反戦デーです。
大樹の陰さん等、お待ちしてたのですが、天邪鬼さんと1時まで、公会堂前にいたのですが、お会いできませんでした。もしかして、ご都合がわるくなられたのかなと、思ったり。とにかく、寒すぎました。よほど、気をつけないと、体調を崩しますね。
井鍋さん、愚等虫さん、私がいうのもヘンですが、どうか、元気出してくださいね。おふたりとも、私には、やさしすぎるというか、ナイーブすぎるというか、「もっと、開き直った方がいいよと」いいたくなってしまうのですが。
それでは、ながくなりましたが、失礼いたします。