天邪鬼さん・勘太郎さん・長壁さん。
お疲れさまでした。また現地レポートも有難う御座いました。
「ワールド・ピースナウ3・20」(日比谷公園。約3万人)
「3・20国際共同行動IN東京・芝公園」(約3万人)
全国数百カ所・数十万人が行動に参加しました。
寄せては返すさざ波も、やがて大きな波となって、日本全国・全世界へと、反戦・平和のうねりとなって、連帯の輪となることでしょう。
長壁さん。
篠突く雨の中、本当にご苦労さまでした。
勘太郎さんは残念でしたね。貴女は、念願の天邪鬼さんに、見事アイボール(対面)出来た由、FB(よい)でしたね。
人を憂える優しさが、人に対する心遣いが伝わって来ます。
貴女の言葉を、家内に読んでやると、見えない目を瞬いて、涙を潤ませて聞いていました。有難う御座いました。
天邪鬼さんと諸々お話されたようですね。
眼光鋭い、芸術家タイプの苦味走った迫力のある紳士とか、大体、想像出来ます。勝負あった。私の負けです。
「目は心の窓」「目は口ほどにものを云う」「目を見れば人は判る」とか目くらい怖いものはありません。
イラク報道の映像の中で、民家の中に押し入り、傍若無人に振り舞う米兵、その前で、恐れ慄き、顔を強張らせながらも、哀願もせず、キッと睨み返す少女の目。私は一瞬たじろいだ。
何と強烈な抗議の目。米兵の銃口さえ跳ね飛ばす眼光。
私はその夜眠れなかった。今でも、あの少女は無事だろうかと思い悩む。いわさきちひろさんが生きていたら、どんな絵を描くだろうか?とも考えます。
3月20日、大阪万博公園での子供たちとのレクリエーションは、ゲームやコーラス、飛んだり跳ねたり、楽しい一日でした。どの子の目も、生き生きと、まるで里芋の葉に転がる露のように、これが天使の瞳と云うのでしょう。
子供たちと寝そべって、空を見つめていたら、遠い昔読んだこんな詩を思いだしました。
空を見つめていたら
大きい雲と小さい雲が流れる
大きい雲はお母さん雲だ
小さい雲は赤ちゃん雲だ
赤ちゃん雲がお母さん雲から離れて可哀想
子供たちは、こんなに素晴らしい詩が作れるのです。
サトウハチローでも無理でしょう。
私は生い立ちの精か、元来、人を見下したり、差別した言動には怒りを覚えます。とりわけ非礼極まる人間は我慢出来ない。礼儀を弁えないということは、相手を軽視していることです。軽視とは、相手を重要でないと定義することで、相手の意向や夢、理想を無視することで、人を物や動物扱いするものです。だから、幾ら虐めても構わない、死んでも構わないと云う考え方になります。大変に反社会的なことです。
それを指して、氷のように冷たい等と云う人がいますが、人をいい加減に見るなと云いたい。大阪では、そんな人間を「甘えた」と云います。
「人を見る目」と云うのは、ただ目で何かを見るだけではなく、「わかる」「知る」「理解する」と云う意味で、英語やフランス語やドイツ語でも、辞書を引けば、「見る」と云う言葉の二番目の意味に挙げられています。
英語で、「わかっています」「知っています」と云うときに、アイ・シー(Isee)云います。
長壁さん。
私も人間を六十数年やってます。相手によって、冷たくも暖かくにもなります。これだけは妥協できません。
いいファシストもいるなんて思いません。その手先でも容赦しません。それを見分けるのは何か?それは言動です。
「言葉は思想」です。「行動は思想」です。
「蝋燭の火を消す息は冷たく、子供の悴んだ手を温める息は暖かい。」その使い分けは出来ます。
長壁さん。
私も妻も、亡くなった河島英五の大ファンでした。
よく二人でステージを見に行きました。
最後に、彼のベスト・セレクションの中から、
「風になれ」
それでは、長壁さんFBなナイトをお過ごし下さい。