獏は松山のデモに参加したとか。よくやった。今のデモは少し退屈だね。ジグザグデモで機動隊にぶつかってぱくられるやつが出てもあん時の方が面白かったね。大体デモを警察に許可されてやるってのがおかしいことなんだ。
まあいいや。日比谷のデモは6万だったて言うが、価値として400人のデモのほうが大きいのではないか。小さな抗議行動ほど参加者の意思が強固でなければできないのですから。
HP立ち上げてさざ波(伝言板欄)に載せてもらったんですがメールのいれ方がわからなかったので迷惑をかけました。明日には直せると思います。懲りずにドアを叩いてください。「叩けよ、さらば開かれん」
あの中の「さざ波」の風景に獏は何か思い当たりませんか。数年前、藤の花、山帽子の花、つわ蕗の柔らかい四国の、人に言えない、懐かしい思い出のある季節に、海辺で描いた絵です。八幡浜から海に向かって左の岬の向こう、網代の先の観音様の下からの絵です。岬の山々はみかん畑ですね。
もう一枚、海岸の部落の絵をまた次に入れます。だがその反対の岬は原発だね。絵にはならんよ。八幡浜には原発反対のために全財産をなげうっている立派な人がいます。
クオリアさんのために明日四貫島の朝日橋から西の方、省線のガードを描いた水彩をいれます。殺風景の情緒こそは此花、伝法の風景です。お母さんの店も描いてみようか。きっと呑み助なら行ってるはずだよ。だがね、飲み助たぁー、一升飲めるやつのことを言うのだよ。
これでわかると思いますが、理論は普遍のためにあるのですが絵や文学や詩は、たった一人の人のために表されるものだってことをね。たった一人のひとために絵は描かれるのさ。。あるいは己という他人のために。ここからは本質的な、エヘン、オホン「芸術論」となります。
戦争は情緒もへったくれもない。
ああ、戦争は嫌だ。イヤダー!イヤダー!