ハマスの指導者ヤシン氏がイスラエルに殺され、ただでさえ地獄の様相を呈してい
たパレスチナで、さらに地獄の釜が沸騰しはじめました。そしてイスラエルの世論の
60%が今回のヤシン氏殺人を支持しています。
なぜイスラエル人に、パレスチナ人の尊厳を奪い人を殺すことが許されるのか。そ
れはその土地が彼らにとって天地創造神ヤハウェから与えられた神聖な「約束の地」
だからです。
私はこの「約束の地」神話がどのようにイスラエル建国に利用され、さらに現在の
イスラエルおよびアメリカ合衆国を呪縛しているのか、ずっと興味を持って見てきた
ので一家言もあります(ここでは述べません)。
しかしここで確認されるべきは、どのような古代イデオロギーが残存しているかと
いう偶発的事情が、歴史がどのように動くかに決定的な役割をはたしていることです。
つまり「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在
がその意識を規定するのである」(『経済学批判』序文)というマルクスの言葉は、
(一面の真実をふくんでいることは私も否定しませんが)歴史の現実にまったく会っ
ていないということです。
だから国際民主主義にとって、差別や戦争をうながす古代イデオロギーの批判は、
他の政治活動と平行して行われなければならない不可欠の事業だと私には思われるの
です。
例えば「天地創造神ヤハウェ」とは、前6世紀の「バビロン捕囚」において、それ
までのイスラエルの守護神「戦争連合神ヤハウェ」から神格が変更された、人間が創
出した歴史的産物であるという、すでに(特に護教論的でない)ヨーロッパ知識人間
の常識(マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』やバートランド・ラッセル『西洋哲
学史』など参照)を、屋根の上から叫び続けねばならないと思うのです。
ところでわが日本ではヨーロッパのような神話批判が行われておらず、7世紀末に
「天武天皇」が書いた『古事記』によって創出された「天皇」とか「天皇家」といっ
た観念が、それ以前の前方後円墳時代(3世紀末~6世紀末)までさかのぼるものだ
と、アマチュアはおろか専門家まで思いこんでいるようです。
「天皇」という言葉が使われた確実な史料は7世紀後葉の藤原京木簡であり、議論
のある史料としては(真作ならば)620年代の天寿国繍帳銘があります。どちらに
せよ前方後円墳時代に「天皇」という言葉はなく、その時代の倭王は「天の下を治ら
しめしし大王」と呼ばれています。
専門家は「天皇」と「治天下大王」と名前はちがっても本質は同じだと思っている
ようですが、前方後円墳時代には地方の小首長も畿内の超巨大前方後円墳(例えばい
わゆる「仁徳天皇陵」)と原理的に同格の前方後円墳に埋葬されており、前方後円墳
時代と7世紀末からはじまる天皇制律令国家の間には巨大な社会史的断絶があります。
つまり(他にも理由はあげられますがここでは述べません)「天皇」や「天皇家」
が古い昔から日本にいたとするのは『古事記』『日本書紀』の歴史偽装で、「天地創
造神ヤハウェ」が宇宙を創造したという『旧約聖書』の歴史偽装と同じ類のものだと
私は思っています。
なお愚等虫さんから先日いただいた私へのレスの中で「聖徳太子」が「天皇家の一
員」だというコメントがありましたが、私はそう思っていません。(こんなことまで
書くと私の実名が知っている人にはわかるかも知れませんが)後世「推古の摂政・皇
太子」とされた「聖徳太子」なる人物は、前方後円墳時代を終わらせた仏教王権の中
での仏教的倭王だと思っています(同時代の史料である『隋書』で彼は「日出る処の
天子」と名乗り、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘では「上宮法皇」と呼ばれています)。
愚等虫さんが「天皇家の一員である聖徳太子」という言葉を使われたので、どうし
ようかと迷っていたのですが、(私は愚等虫さんに強い敬意を抱いたので)やはり私
なりに真剣に対応したいと思い上のコメントまでつけました。
日本の伝統文化が「天皇」と不可分のものだというのは、まったくの幻想であるこ
とを私は確信するものです。