あなたのお父様のこと読ませていただきました。非常にやさしいあなたのお父様への思いやり、思わず目頭が熱くなります。
偶然にも昨夜私は妻の働くN建設のリストラのことを書いて投稿したばかりでした。この2ヶ月で2度ばかりかいしゃの状況を投稿したのでしたが反応はありませんでした。しかしイデオロギーの問題ばかりでなく、食らうこと、生きることについてさざ波の方々はもっともっと関心を払われねばいけないと思ってきました。なぜならばイデオロギーを生むのは肉体ですから。
あなたのお父様は50を過ぎて会社をやめさせられた時、まだまだ働けるし運転の経験が就職に役立つと思っていたかもしれません。しかし50を過ぎた人の再就職がほとんど無理だという悲惨な事実をあなたの投稿によってさらに確信しました。本当は50代といえばもっとも働く能力を発揮できる人生の円熟期、なのにここでやめさせられるということが人生そのものをハンマーで叩き割ったに等しいのです。お父さんがハローワークを日参し、またあなたが手分けしてお父さんの就職を必死になってあたっても仕事がない、その辛さや苦しみは想像に余りあります。だが私は言葉で慰めることができないのです。どんなにやさしい言葉よりも現実の重力を考えるからです。
世の中がこれほど厳しいことを創造できないはずがないのN建設ではなだれを打つように、わずかの退職金を上乗せさせられて400人もすでに会社を去り、街頭に消えてしまいました。それに抵抗したのは私の妻と地方営業所事務のOさんだけです。妻は56歳,Oさんは57歳で60歳になれば定年でそれまでは何とか会社に残りたいと関西合同労組に入って戦ってきたのですがOさんにも限界がきたようです。
昨夜遅くOさんから
「もうとても我慢ができないわ、会社をやめて他をあたります」と泣きながら私に電話がありました。
「そうか、もう無理なんだね。しかたがない。だがよくもたった一人で1年3ヶ月退職勧奨をはねつけてがんばりましたね。」
この1年3ヶ月彼女に加えられた営業所での圧力は言語であらわせられないほどにすさまじく、差別そのものであっただけに「よくも耐えた」と私は本当にそう思ったものです。
ついに抵抗するものは500人中妻一人になってしまいました。そして会社は妻を解雇しないと言ってきたのです。背後に私という強い亭主がいるからではないが。徒手空拳の労働者が戦うには精神力がもっとも重要なのです。「私はもうどこにもいけないし、誰も助けてくれないもの」
と彼女は言って今朝会社に行きました。
中山さんという妻の上司は48歳である。希望退職の期日の切れる寸前に辞表を出しすでに残務処理で出社してきているだけで、就職活動で走り回っているそうである。彼には3人の子供があり長男は6年生でこれから金の要る時期になる。奥さんは毎日パートで働き日曜はスーパーのマネキンで働いている。3年前夫婦は2000万のマンションを買ったのだが、今売ったところで1000まんにもならず借金を支払いつづけねばならない。中山さんは50を過ぎて会社がつぶれたら就職がないと夫婦で考えに考え、500万円の退職金を手にしてやめることにしたのである。だが就職が決まらず1年も遊んだら500万の金は完全に消えてしまうだろう。そのあとどうなるのか。ぞっとする現実が待っているのです。
Oさんの場合も3年前に1500万の家を建て、娘夫婦と同居しているがその支払いもあって営業所がなくなっても遠いところに勤められない。2日前の団交で営業所が閉鎖すれば事務員が要らなくなるというなら本社事務所がパニックになるほど仕事が多いからそちらにOさんを入れてくれと申し入れをしました。また彼女には定年までの2年半私たちと同居しようといっておいたのです。しかし彼女はじぶんのすむ土地から絶対に離れたくないというのでした。しかし昨日会社からのファックスが組合に入り、本社で本当に勤務できるかとの連絡があったのでした。それは合同労組の圧力に会社が折れたということでした。しかし彼女はどうしてもそうはできないというので戦いから脱落したのでした。
妻の解雇はなくなったがその会社があと3ヶ月持つかどうか怪しい。
「だが自分がやめた会社が残っていれば業腹じゃないか、会社がつぶれて路頭に迷うなら仕方がねーな。会社がつぶれるのを見届けような」
とわたしは妻に言っている。リストラというのは会社が再生するための言葉だということがあなたのおかげでわかりました。つまり会社が生き残るためには労働者をどれだけ首切りしてもよいというのがリストラなんですね。会社があってこそ自分があるなどと以前は労働者が思わされていたが会社があっても自分は路頭に投げ出される、それが現実なんでしょうか。企業意識が少しでもあれば戦いに敗れるのです。
「私は会社なんか愛したりしてないのよ。生活のために会社で働いているだけのことで、同僚なんかは好き焼けど会社を愛するなんか私にはちっともないわよ」
バブルによって急成長したN建設ですがバブル崩壊後、長期的不況の中で国や自治体の道路などにかける金がなくなってくれば、中小のゼネコンは淘汰されていくのでした。そのような時代の読みも浅く経営者は4年前にはゴルフ場を買ったり設備投資に莫大な融資を銀行から受けたりしたが、2年前には急激な受注減に遭遇するのでした。そうなれば銀行がうるさくなる。銀行の指示でリストラが始まったのです。しかし100人減らしても受注がさらに減りまたもリストラ。それがここ1年の成り行きだったがついに0月の債権者会議で主力銀行が見放した瞬間、倒産となり民事再生法で何とか生き残ったのです。民事再生法というのは企業の連鎖倒産を国家が恐れているからできた法律です。しかしN建設がリストラを3月中に終えて生き残ったとしても、もう以前のような生産能力はない。重要な人材までいなくなってしまったのだから。そうなれば大林や清水など大手だけが生き残りN建設はどれかの大手にただ同然で買い取られていくであろう。会長は引退し社長は12月に退職つまり逃げて役員たちもいなくなってしまっています。つまり食・・・(文字化け)・・・。
このように考えていくと日本国家の政策としてリストラを徹底的に進め、中小をつぶし大手だけ残し、そのうえに金融独占資本の支配をさらに強化し、その糸を手繰っていけば数人の資本家が必ずいて彼らの意思であることがわかります。この、指で数えられる少数の資本家、われわれに姿を見せない富豪がこの国の政治経済を支配し戦争政策を遂行しているのではないでしょうか。裁判所も、警察も、自衛隊も、政府も、銀行もすべてを支配しているのは一握りの独占資本化家であり、国家そのものも彼らのものではないでしょうか。小泉や自民党、社民党は言うに及ばず民主党までが人民を支配するための装置でしかないと私は考えるのですが間違っているでしょうか。私は国会そのもの議会制民主主義が人民を支配するための装置でしかないと考えるのです。
あなたのお父さん,Oさん、中山さんを串刺しにしているものはリストラで放り出したその企業のみでなく、銀行、さらに政府、さらに国家、そして一握りの巨大な独占資本ではないでしょうか。その独占資本の胃袋は貪欲でこの国の支配で飽き足りず、イラクに軍隊を派兵して石油を奪い、朝鮮中国にも軍隊を派兵してその国の資源と労働力を収奪しようとしているのではないでしょうか。
だから労働者が戦うということはもちろん生活生きるためであるが直接国家と対決しているのであると思うのです。
一人に労働者を苦しめているものは、日本という名のこの帝国主義国家であることを見抜けなければ労働者は絶対に幸せになれないと私は考えます。
私はもう長く生きました。戦後の労働者の苦しみに匹敵する苦しみが今日の労働者を襲っているのを見るにしのびません。ドイツでもヨーロッパやアメリカでも失業者たちが戦っています。日本でもすべての労働者がリストラ、失業に反対して戦わねばならないのです。そしてこの国家が労働者を食わせることもできないならば、この国家を打倒し労働者が支配する国家にするよりないではないでしょうか。それを革命とよぶのです。
少し話を飛躍させていますが、勘太郎さんが「今の反戦運動が市民運動と労働者の運動が結びついて」と書いておられたがもう少し深く考えると、連合も全労連も労働運動の体をなさない中での反戦運動がそのように見えるのは、おそらくあなたのお父さんのような人を組織しようとする人たちの自己犠牲による地道で厳しい活動が草の根を分けるように続けられてきた現われに違いないためでしょう。、私も3.20日比谷集会でそのことを感じました。しかし足りないのは学生運動との結合であるとも思いました。労働者と学生が一体となりその周りに市民運動が取り巻くとき歴史が変わっていくのだと思います。
そして「歴史は街頭でかえられる」と言う他国の人の発言があったが
「そうだ」と答えます。
「仕事をよこせ」失業者は街頭に繰り出さねばなりません。この戦いを指示しない労働運動は勝利することはありません。困難ですがその戦い以外に生きる道はありません。
高山 優様
慰めにもなりませんが同じ問題を抱えるものとしての投稿でした。明日はわが身です。他の方々も一緒に考えてください。