朝日新聞夕刊、3月26日によると、
「国連安全保障理事会は25日、パレスチナの精神的指導者ヤシン師殺害をめぐり、非常任理事国アルジェリアが提出したイスラエル非難決議案を採決した。15理事国のうち、フランス、ロシア、中国など11理事国が賛成(棄権3カ国)したが、米国が拒否権を行使したため否決された。」
という。
私は今回のヤシン師殺害に対して、パレスチナの人々のこれまでの長い苦難を思い、怒りが沸騰した。ハマスの声明「標的はシャロン」を心情的に十二分に理解した。
イスラムの掟に「目には目を」というのがある。「目をやられたら、最悪目まで」と、報復の限界を説いたものであるといわれている。
私は各国が本当に今回のことを本気でうけとめていたならば、日本が棄権ということも、米国が拒否権発動などということも、なかったと思う。米国に拒否権発動させない、強い世界世論があったならばである。
60年近い、イスラエル占領下のパレスチナ。イスラエルのジェのサイド、そして、パレスチナの自爆攻撃が起こるたびに、メディアはちらっとふれ、どっちもどっちといった非難をし、陰で操る米国のことなどはふれることもなく。暴力の応酬だの連鎖だのでごまかし、あろうことか、抑圧される側の痛みなど、全く眼中にない。
こうした世界世論のなか、パレスチナの行き場のない怒りが自爆攻撃となってきた歴史、そのギリギリのいのちをかける抗議・異議申し立ての声に最後のトドメをさすかのような、この度のヤシン師暗殺。
私達西側諸国の人間、英米帝国とつるんでイラク出兵しているこの国の人間は、今こそ、パレスチナの人々の声を本気で聞くことが、必要なのではないだろうか。
そして、かれらの怒りと無念に寄り添い、それを共有すること、サイトで署名であらゆる方法で草の根的な表明をすることが急がれる。各国代表が寄り集まった非難決議の何の力もないものでなく、世界中の人々の人間としての声、不正を許さないという声を大きく大きく上げることが必要だと思える。こうした声こそが、怒涛のように波うち、地球を流れる大河となって、戦争にトドメをさすことになるのではないだろうか。
それにしても、イスラエルのヤシン師殺害は「イスラエル軍による違法な処刑」とする決議案が、どうして、否決されなければならないのだろうか。