明治維新の4年後(1871)、新政権は「えた・非人」などの制度を廃止し、職業を平民と同等とするといういわゆる「解放令」を出しました。
これは別に新政権が人道的であったというわけではなく、後進帝国主義国家として出発するための税制の一律化と、不平等条約改正のために西欧帝国主義国家に近代化のポーズを示すことなどが目的だったと思われます。
この「解放令」に農民は激怒しました。いままで自分たちが人間と思っていなかった存在が、自分と同等の存在となることに我慢ができなかったようです。京都以西九州までの各地で、いわゆる「解放令反対一揆」という大暴動が起こりました。
農民は徒党を組んで県庁におしかけ「解放令」の撤回を要求し(いくつかの県は撤回した)、さらには被差別部落を包囲し、被差別部落民がいままでどおりの態度(雨でも傘をさしてはならないとか)をとることを要求し、拒絶した部落は放火・殲滅しました。全国で2000戸以上の家が焼かれ、数十人の部落民が殺されたようです。・・・
私は十数年前に、この「解放令反対一揆」の存在を上杉聰さんの本で知ったとき(『天皇制と部落差別』三一新書、『明治維新と聖賤民廃止令』解放出版社、『部落を襲った一揆』同)、かなり強い衝撃を受けました。
司馬遼太郎さんの歴史小説や、羽仁五郎さんの人民史観からはうかがい知ることもできない「生の歴史」がそこにあったからです。
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私は今回のイスラエルのヤシン氏殺人を多くのイスラエル人民が支持している様子をテレビで見て、1871年に被差別部落を松明と武器を持って包囲した、日本の農民の姿を思い浮かべました。
私はもちろんイスラエル人民の中にパレスチナ人民を迫害することに強く抵抗してきた、ウリ・アブネリ、イラン・パペ、デビッド・グロスマンといった個人、兵役を拒否した軍人(現在1258人とウリ・アブネリ氏のサイトではいう)、高校生といった多くの人々がいることを知っています。これらの人々はユダヤ人のみならず人類全体の尊厳をも護ってくれている人たちだと私は思います。
しかしこれらの人々は残念ながらいまだ少数で、60%のイスラエル人民は今回のヤシン氏殺人を支持しているのです。
だから民主主義(イスラエルは民主主義国家です)はもちろん求められるべき唯一の政治形態ですが、民主主義だけではだめなので、それがどのような観念を持ちどのような選択をするかでその民主主義共同体の営為が評価されねばならないと私は思います。
ではどのような民主主義共同体が悪をなすのか。
現在のように情報が高速で流通している中で人民に悪をなさせるためには、人民の論理性が破壊されていることが必要です。そのための効果ある道具は古代差別イデオロギーであることを私は再三述べてきました。
だからそのような古代差別イデオロギーを精算していない民主主義共同体の危険性が意識されるべきです。具体的に言えば、キリスト教原理主義のアメリカ、ヒンズー教原理主義のインド、ユダヤ教のイスラエル、天皇制イデオロギーの日本がそうです。「解放令反対一揆」は天皇制イデオロギーの中で起こり、イスラエル人民のパレスチナ人迫害はユダヤ教とキリスト教原理主義の「約束の地」神話にその「倫理的根拠」を置いているように私には思われます。
差別イデオロギーの精算と、正義と共生の理念が確立がなされていない民主主義は、大いなる悪をもなしうるのです。イスラエル人民を「約束の地」神話の呪縛から解放することと、日本人民を天皇制から解放することは、実は同種のことだと私は思っているのです。
(追伸。ワールド・ピース・ナウのサイトを見ていたら今日3・27にイスラエル大使館への抗議行動がなされるようです。東京に住んでいたら私も参加したかったのにと思いました。)