3月20日に私は、桃色ゲリラの人たちに混ぜてもらって日比谷公園から銀座、東京駅までデモしました。しかし友人と会う約束があったので、そこで桃色ゲリラの人たちに挨拶して隊列から離れ、東京駅前からタクシーに乗って六本木に向かいました。
ところでそのタクシーの運転手さんは60年配の方でしたが、私が離脱した後も延々と続くデモを見て「よくやりますよ」とあまり好意的でないコメントをされました。
それで私は「私も今までデモをしていたのですよ」と言ったら、(さすがにまずいと思われたのか)「イラクもパレスチナも宗教問題でしかたがないんじゃないですか」と韜晦するようなことを言われました。
そこで私は「イラクの問題もパレスチナの問題も、アメリカが中東の石油をコントロールするために起きていると私は思います」と言うと、運転手さんは「でもパレスチナはイスラム教とユダヤ教の争いではないですか」と聞き返されました。
私はパレスチナ人はイスラム教徒だけでなくキリスト教徒もいるし、19世紀のパレスチナ(オスマントルコ帝国の支配下にあった一地方でしたが)では、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も平和的に共存していたので、そういった宗教がずっと敵対的であったのではなく、ずっと敵対していたように言われるのは、イスラエルが建国されてからのイスラエルやアメリカによる宣伝にすぎないことを説明しました。
(こういったパレスチナの通史として、パレスチナ人歴史家エリアス・サンバー氏の『パレスチナー動乱の百年』創元社「知の再発見」叢書(定価1400円)は、写真や絵が多く読みやすいだけでなく、深い歴史的考察もなされている、非常にすぐれた入門書だと思います。パレスチナ問題の基礎知識を得られたい方に強くおすすめします。)
そうすると運転手さんは「でもパレスチナはイスラエルにとって神から与えられた土地ではないんですか」と言い出されたので私は、それはイスラエル人の先祖が造った「旧約聖書」にそう書いてあるだけで世界中にその手の神話はいくらでもあること、例えば日本の『古事記』『日本書紀』には新羅・百済が神功皇后に服従を誓ったという神話があること、この神話は朝鮮を植民地にするときその正当化に利用されたがそれが馬鹿馬鹿しいのと同様にパレスチナがイスラエルに神から与えられたと思うことも馬鹿馬鹿しいことを説明しました。
以上の会話は六本木につくまで至極なごやかに取り交わされました。しかし運転手さんがどこまで私の説明に納得されたかわかりません。
運転手さんの見解はパレスチナ問題に対するごく初歩的な誤解だと思います。しかし本サイトを見られる方の中で同様の疑問に遭遇された(される)方もおられるかと思います。そこで私の答え方も少しは参考になるかも知れないと思い、ここに紹介させていただきました。