「啖呵の切れ味」興味深く読ませて頂きました。
と申し上げますのは、小生、40数年前、所帯をもったのが、此花区の伝法町でした。世の中広いようで狭い。本当に奇遇ですね。夜星、朝星戴いて。労働運動に明け暮れていました。
四貫島、千鳥橋駅前、「赤旗」宣伝、ビラ配り。診療所や生健会。思い出は走馬灯の如く去来します。
伝法は、関西大手ゼネコン「鴻池組」の発祥地です。創業者の鴻池忠治郎が家業の回船問屋を継ぎ、更に、土木・建築の事業場などに労務者の供給業を興したのが始まり。淀川改良工事や戎橋建設など、労働者からのピンハネ・搾取により、国際企業として、今日の繁栄を手にしたのです。
古くから港町として栄えた伝法は、船の荷の積み下ろしなどに従事する沖仲士や漁師たちが大勢住んでおり、彼等の仕事の性質から、伝法には威勢が良くて、情に厚く、気前の良い人が多かったと云われています。そんな男達の気質を表して、伝法肌という言葉が生まれたと云います。
勇み肌(弱きを助け強気をくじく気質)を意味する「伝法肌」の言葉が、この伝法の地に由来するという説があります。
伝法の男達は大の祭り好き。毎年7月31日と8月1日に、開かれる鴉宮(からすのみや)と澪標(みおつくし)住吉神社の夏祭りは、今も昔も大盛況。「お囃子が聞こえて来るとジッとしとられへん」「必ず仕事を休んで祭りに参加する」という人もいるとか。
そんな、血気盛んな男達を支えるのが、しっかり者の女性達。「きっぷが良くて、気が利いて、世話好きな」伝法の女性を意味するとされる「伝法女」という言葉もあるようで、伝法には男性も女性も味のある人たちが多いようです。
「伝法」の名の由来には諸説ありますが、その一つが「法(仏法)が伝来した土地だから」という説です。 啖呵と云えば、最近は男も女も、果ては政治家も学者も、小気味のよい啖呵を切る者もいませんね。
遠山の金さんや緋牡丹のお龍。芝居や映画の世界となり、何とも淋しいかぎりです。
実生活において、小生などは、小さい時から、世の中の不正・不条理に出くわすと、所構わず、「ってやんでぇべらぼうめ」と啖呵を切って、挙句の果ては、損ばかり。家内や子供たちを泣かせてばかりでした。でも後悔は一切ありません。
小気味のいい啖呵と云えば、渥美清の寅さんです。
・鶴は千年、亀万年、となりの婆さん、あと1年。
・見上げたもんだよ屋根屋の褌
見下げて掘らせる井戸屋の若後家。
・色は黒いが浅草海苔は、白いおまんまの上に乗る。
・男は度胸で女は愛嬌、坊主はお経で、学生は勉強、庭で鶯ホーホケキョ。
・女房慣らすにゃ天秤棒でどやせ、デチ棒で慣らすとつけ上がる
・張っちゃいけねぇ親父のアタマ、張らなきゃ食えねぇ提灯屋。
・亭主の浮気にカカアはカッカ、お猿のオケツはマッカッカ。
子供時分、よく学校帰りに、黒山の人だかりを見つけては、啖呵売や泣き売を聞き、一生懸命に覚え、友達に披露して、得意になったものです。
最近、当サイトの管理人が寛容なのか、投稿規程を蹂躙して、日本共産党の打倒・解体をもくろんだり、個人・団体を誹謗・中傷したり、差別表現の著しいものや、侵略戦争を支持したり、投稿者の人格を攻撃・揶揄したり、不真面目かつふざけた短文を投稿する輩が目立ちます。管理人の厳正な吟味のうえ掲載をお願いしたいものです。そして、このサイトが稀にみる品性と権威あるさざ波から大きなうねりにして行きたいですね。