1991年にソ連が崩壊してから(私はソ連が嫌いでしたが植民地解放に寄与したなど人類に貢献した側面もあったと思います)、世界の独占資本は「資本主義は勝利した」「資本主義以外の社会の可能性はない」という大宣伝を繰り返してきました。
資本主義の現実が、「発展途上国」(いやな言葉ですが)の未組織労働力を搾取し(幼児労働など)、ライフラインや社会保障を収奪し、貧富を極端に拡大し(日本でも人民多数の生存条件が奪われつつあるのではないですか)、人類の生存環境を破壊し(京都議定書程度のものでもどうなりましたか)、「先進国」人民の意識を「利潤の追求のみ」の動物的なレベルまで落とし、その行き詰まりにおいて戦争を起こし、結局は人類全体に滅亡をもたらすと思わざるをえないものなのに。
つまり人類は資本主義の、少なくともその最悪の面を制御しなければ、生存できないと思われます。
しかし現在、世界の多くの人民が「もう一つの世界」を求めて活発に動いています。世界社会フォーラムは年々その活力を増しつつありますが、一つの国家としてその可能性を切り開いているのがベネズエラです。
1998年の選挙で大統領となったウーゴ・チャベス氏は1999年に、労働者の権利、子供の権利、男女平等、石油公社民営化禁止(!)、社会保障制度民営化禁止(!)、無料義務教育、大土地所有をなくすための国家義務、先住民の尊厳、労組幹部を下部から選出する義務(!)、国家公務員の人的抹殺を示唆する上司命令への不服従義務(!)といった条項をふくむ新憲法を、2000年に発布しました(前年の国民投票で86%の支持を得る)。
当然アメリカの産軍複合体はそのような国家の存在を許そうとせず、ベネズエラの特権階級と結託して2002年にクーデターを起こしますが、ベネズエラ人民の圧倒的チャベス支持によりクーデターは失敗します。
チャベス氏は2003年初頭のポルトアレグレの世界社会フォーラムにおける演説で「ベネズエラには、失敗を犯し欠点のある政府ではあるが、人民の利益のために働く為政者を選んだ人民との約束を鉄の意志をもって護ろうとしている政府があるのだ」と叫んでいます。
独占資本におさえられた大手メディアは当然ながらベネズエラに関する真実の情報を流しません。グレッグ・パラスト氏はアメリカで、反チャベス20万人のデモが放送されている一方で、それに数倍するチャベス支持デモが報道されていない現実を指摘されています(『金で買えるアメリカ民主主義』)。日本でも事情は同じだったように記憶しています。
かってチリのアジェンデ政権をつぶしえたアメリカが、現在ベネズエラのチャベス政権をつぶせなくなっている現実は、アメリカの覇権が長いものではないことをわれわれに告げているように私には思われます。
ところで社会主義政策を断行しているチャベス氏は、自分と自分の政権の思想的根拠を民族主義とキリスト教においています。その一方でチャベス氏はしきりにグラムシやゲバラを引用します。私はチャベス氏の思想のこういった様相に、これからの人類の方向が示されているように思うのです。
マルクス主義は(マルクスもエンゲルスもヒューマニズムから出発したにもかかわらず)、弁証法的唯物論という神学で「人間の尊厳」の原則をその思想の表面から消去しました(その結果が「収容所列島」でした)。だからマルクス主義は何よりも「人間の尊厳」を求める「もう一つの世界」の実現において、そのままの形ではむしろ邪魔になると思われます。
しかし資本主義というものが労働者を搾取する本質を持ち、それに対して労働者が団結しなければならないというマルクス主義の一主張は(弁証法的唯物論や史的唯物論やプロレタリアート独裁論が間違いでも)正しく、それゆえに「マルクスのどこがまちがいでどこが正しかったのだ」という批判を経たマルクス主義が、「もう一つの世界」の実現にとって不可欠だとも思うのです。(それゆえに私は「さざ波通信」から学ぼうと思っているのです。)
ともあれ地球は現在一つの社会として動いているので、ある一国内やその周辺や多少ひろくとも世界の部分だけを見ていたのでは、現実から取り残されてしまうように思われます。もう読まれた方も多いと思いますが、まだ読まれていない方に、チャベス氏の演説をまとめた『ベネズエラ革命』(伊高浩昭訳・現代書館)の一読を強くおすすめします。