研究者というと書斎にこもって本ばかり読んでいると思うのでしょうが、そういう分野もありますが、私の分野は、年間30回程度、外国・国内調査を行い、数百人の人と名刺を交換し、政治家から官僚・サラリーマンまでインタビューしながら分析する領域です。政党・党派を超えて同僚研究者と意見交換し、文献で世界の動向を知り、統計分析で現象から一般傾向を抽出します。何よりも私たちは事実を恐れずに把握し、楽観的にも悲観的にも考えないし、原理によって目を曇らせないという職業倫理を持っています。(現実には難しいし、人によっても違いますが)。
私のことを一面的と指摘するレスがありますが、赤旗やメディアの統制された記事、共産党の主催する集会や行動に参加することで得た情報から意見をお持ちなのは、個人の処世としては自由ですけれども、天下国家や党のあり方を論じるには、そもそも場違いです。世界の持っている構造性や現状を知ることなしに、新しい組織論は生まれません。
もちろん、共産党の中で少数派として阻害されている人々が語り合い、孤立していないことを確認することは大事でしょう。しかし、連帯を確認する相手は、少数派の共産党内のそのまた少数派同士ではなく、その外にいる人々であるはずです。その人たちといかにつながるかという組織論が、再生されるべき共産党の組織論です。
人文学徒さんの投稿へは機会をあらためて意見を書きますが、指摘のNさんの言説は、良心的な人々にも眉をひそめさせるものですし、組織論についてのあなたの意見に対する彼女の意見は失礼以外の何者でもありませんね。そもそもが組織論を論ずるのがこのWEBの目標であるはず。
共産党の主催する集会にどれほど参加しようと、組織の改革ができるはずはありません。Nさんを持ち上げる人々は、このような姿勢が孤立を招いてきたことを深く反省すべきです。たとえば、「自民党のバカ」と簡単に書きますね。しかし、日の丸・君が代に執着しながら、中国からの帰国子女や私費留学生の苦境に走り回って住居や職場を世話するのが地方保守層・たたき上げの経営者で自民党地方議員でもあるのです。対する共産党は口先は立派ですが、何もしません。
80年代から90年代にかけ、全国で平和都市宣言が多数採択されました。共産党も努力しましたが、少数派で自民党をどう説得するかにかかります。アメリカ批判・ソ連に利用されないかと懸念する彼らも賛成させるのは、人間的信頼感によります。安易に「バカ」などと書く人間の品性が疑われます。口では連帯とか幅広い結集といいながら、自分たちの立場を絶対視して、他と協調できないのが、共産党であり、それは原理主義とみずからを革命の前衛と規定してきたことに由来します。
この前衛主義がどれほど大衆団体を引き回し、善意の人々を共産党嫌いにしてきたことか。肥大した前衛意識にもかかわらず、ビラをまく、集会に出る、赤旗を読む、署名を集める、票読みをする、赤旗を拡大する、これで世の中が変わると思うのは、世間知らずです。
共産党の「自己中」の一例を挙げておきましょう。共産党の推薦で当選したある市長へのインタビューで、もちろん共産党は与党ですが少数派です。市長が一番困ったのは、与党顔して議会を通る可能性がないのに党の立場を主張する共産党で、頼りになったのは自民党内の保守層だったそうです。選挙運動自体、市民の手弁当だったのですから、根本的に錯覚しているのです。
具体的に論ずべき課題があります。現在の政治状況は、憲法改正のコースをまっすぐに歩んでいます。55年体制以後は、護憲勢力が3分の1議席を確保していたので、自民党は解釈改憲に戦略を転換してきましたが、改憲の条件が整いつつあります。むろん、完全な憲法はありませんから、改正意見の中にはまともなものもあるでしょうが、自衛隊の正当化、交戦権の明確化、集団的安全保障の明確化などが書き込まれることは明らかで、議会における3分の1勢力の確保は、戦後最大の課題です。
国民の意識は若い世代を中心に変化しているとはいえ流動的で、3分の2が平和主義放棄を支持しているとは思えません。しかし、社会党の崩壊後、変化しやすいとはいえ、こうした広い平和意識を受け止める政党がないのです。旧社会党の労組幹部とは多少つきあいがあるからわかりますが、彼らの反共産党意識と権力意識は根深いものがあり、共産党よりは民主党・自民党に結集するのは当然です。
しかし、現場の活動家や支持者はもっと良心的です。この人たちが共産党には投票しないのです。なぜそうならないのか、深刻に反省すべきです。ソ連崩壊後も、共産党は原理主義的共産党員の動揺をおさえるため、党名変更その他状況に対応した政策変更をしないことを宣言しました。思想的原理的一貫性は、皮肉をこめておみごとというべきでしょうが、その結果、反自民で平和志向の人々を吸収するのに失敗しました。
政党再編は、政党支持の関係をドラスチックに変更しますから、支持基盤を拡大する機会でもあり、原理主義的政党から脱皮するチャンスでもあったのですが、現にいる党員の離反を恐れ、構造転換をしなかったのです。ここに投稿している人々も、旧社会党員が参加してくることなど想像できないでしょう。しかし、政党再編というのはそういうことであり、共産党が社会に開かれた存在かどうかが、試されてもいたのです。こうした大変動に対応できない体質は深刻なものです。
共産党は、社会党がいてこそ幅広い左派の一部として意味があることを、この10年は示してきました。2大政党を共産党は批判します。それはそれで結構ですが、自民党に対抗する勢力として社会党が消え、民主党がある現在、アメリカモデルになるなら、共産党の将来は、アメリカ共産党のような超極小政党です。
私の問題提起は単純です。憲法改正を防ぐには、国会で3分の1を確保しなければならないが、今の共産党には旧社会党の支持者も投票しないだろう。こうした人々が結集し、支持する政党とは何かです。
政治とは結果責任です。そのような政治勢力を形成するのに政策を選択し、あるいはある政策や組織を変更するのが政治であり、国民の中にある平和の願いを組織するのに役立つ理論が正しい理論であって、マルクスだのヘーゲルなどなくとも十分やっていけますし、政党のあり方をこうした文献から演繹するような政党は、イスラム原理主義その他と同質です。正しいと思えば、共産主義そのものも疑ってごらんなさい。
当のマルクスはマルクス主義といわれることをいやがっていた、しばしば引用されますが、引用する本人が、そう思っていないこと、多くの場合、口先だけです。
ましてや、自分たちの姿勢を反省せず、自分たちのみが平和の代弁者のような傲慢な振る舞いで集会を召集し、そこにこなければ正しくないだのという言動、短期的には人は集まるかも知れませんが、それで政治が変わると思っているのは、学習の欠如というほかありません。