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神戸事件:仮退院と被害者家族の反応

2004/3/11 北野勇、40代、労働者

  二人の被害者親族のコメントは、ちょっと予想と違った。
極刑を裏切った少年法への怒りが発せられるものとばかり思っていた。
しかし、そこで語られた言葉は、被害者も加害者も前を向いて歩こうという気持ちが、淡々とにじみ出ていた。
7年の歳月は、怒りと悲しみの力を別の力に変えていた。
これを見て、思ったことは、人間は信ずべき存在であるということだ。

今、子供への悲惨な虐待が増加している。
子供たちの置かれた状況は、精神的にも肉体的にも危うい社会の環境にさらされている。
それは、同時に両親の置かれた環境の反映でもある。
親や大人に希望と夢があれば、子供にもそれが反映する。
社会が大きな方向で、人間に優しい方向で流れていれば親や子供らは希望をもって生きる事ができる。

ある警察OBの話によれば、戦後の混乱期は貧困故の犯罪が多かったが、その後だんだんと減少していったそうだ。現在の豊かさの中での犯罪の増加は、この社会が大きな方向で人間を否定していることに他ならない。

こういう大きな社会の流れから、この仮退院をめぐる被害者と加害者の心境の変化を見たとき、被害者も加害者もこの社会の流れに翻弄された人間の悲劇と思えてくる。同時に、それでも前に踏み出そうとする勇気に、この社会の流れを変えるエネルギーが潜在的にあることを感じた。

しかし、残念ながら、このエネルギーを拾い上げ、ひとつの大きな束にし、社会の大きな流れを変える力が、今はない。
このエネルギーが物理学上のものであれば、そこには必ず核が存在し、その核を中心に運動が一定の方向で支配されていく。
ところが、核のない運動は、様々な要素が単に発散されるだけである。平和運動にしろ、労働運動にしろ、「反対だぁ!」「法的整備を!」が念仏のように繰り返されるだけだ。

共産党が求めるべきは議席の量ではなく、核たる質であるべきだ。