このWEBで共産党の再生や党内での活性化が論議されているようですが、私は無駄だと思います。なぜなら、科学的社会主義やマルクス主義を標榜し、政治的真理と認識論を接続させている限り、原理主義にならざるを得ず、政策の評価などをこれらの原理主義に照らして評価する行動様式は、宗教結社とかわりないからです。たとえば、共産党の経済政策は、一貫して大企業批判です。中小企業の育成や自営業の育成は、バランスある経済構造を持つためには重要です。しかし、それを大企業批判とセットで言う必要はないのです。現在の日本の経済活動は大企業の能力を否定しては維持できません。その民主的規制は重要です。重要なのは、勤労者の権利擁護だからです。だが、一面的な企業批判は、はじめから非現実的であるだけでなく、政治的少数派の宣言です。
おそらくそれでもいいという方が多いのでしょう。だから、原理主義だというのです。暴力的な市場万能主義のアメリカ・イギリス資本主義と企業よりは、終身雇用を維持してきた日本のある時期までの企業は、まだましなのです。問題は、もはや社会主義か資本主義か、ではありません。人間の顔をした資本主義か、競争万能の資本主義か、なのです。この事実は、共産主義者であることを生きがいにしてきた人々にはうけいれがたいでしょうが、日本において社会民主主義の伝統と理論蓄積がうすいために、過剰に共産主義への幻想と過大な期待がありすぎたから、善意の多くの人々が共産党に集まり、そして幻滅して離党しました。私もその一人です。
WEBに共産党の官僚主義の被害にあった人々が、投稿し、再生を期待してます。しかし、自分たちが科学的社会主義の担い手で真理を体現していることが組織原理である以上、真理の名において、他者を否定するのは、共産党と党員の体質です。そのことは、自分たちはそうした官僚主義とは無縁であると信じているこのWEBの投稿者の文章を読めば一目瞭然ではないでしょうか。自分こそ平和と民主主義の守り手のごとく主張と自分の批判への反批判、皆さんが毛嫌いしているF議長の論調とそっくりです。こんな文章をつきつけられたら、普通の人間は耐えられないと言う感覚すらないでしょう。
悪いことは言いません。相手を論破するのではなく、普通の人間と暮らしてごらんなさい。党生活など個人の上に置くのではなく、暮らして御覧なさい。