拙文への賛同ありがとうございます。
残念なことに、広く社会全体からみて明らかな私の論旨に対しては、このWEBの常連である党員(らしい)ひとからは、何の反応もないことです。別に私でなくとも、ここ10年間の日本社会の動きに心を痛め、人権と平和を大切にする政治勢力が強くなってほしいと考え、共産党に多少とも期待するひとなら私のように考えるのではないでしょうか。WEBで氾濫しているのは、ようするに同じ考えのひとびと、共産党内で自分が真正左翼であり、現在の党体制に不満を持っている人が、愚痴をこぼし、悲憤慷慨し、はげましあっている姿です。政治組織を原理主義で構成しているがゆえに起きる問題に目をそむけ、いいかえれば、自分たちの存在基盤そのものまで問い直すという厳しく、つらい作業を回避し、自分たちこそ正しいと内輪で論議しているのに過ぎないのです。共産党の排他主義は悲しいことに共産主義それ自体が含んでいるのです。どう克服できるかわかりません。かつてのユーロコミュニズムは人間の顔をした社会主義を目指しました。今日では失敗かもしれません。しかし、20世紀後半は、社会主義の拡張期ではあったけれども、スターリニズム、毛沢東の文化・・・(文字化け)・・・。問題は、このWEBの参加者が、自分たちもこの問題の一部、当事者である自覚がなく、党内批判者の立場に立つことでこれらの問題に解答する責任が免除されていると思っているらしいことです。自分たちの正当性を原理的に演繹し、他者への批判を塗り重ねて、自らを疑わない姿勢は、批判の対象となっているF氏そっくりですし、それは同じ共産党内での甘えの論理に過ぎません。WEBで公開し、一般参加者の投稿欄を置いている以上、その責任があるはずです。党内的論理で励ましあったり、悪口雑言を交換するのは、党員欄でお好きにやればよい。
しかし、ここに登場している党員(らしい人々)が仮に党執行部を構成しても、結局何が変わるのでしょうか。失礼ながら、「同じ穴のムジナ」です。
あなたたちは、自分たちが天使で正義を執行できると思っている。しかし、実は逆かもしれない。現在の日本の資本主義と政治は「悪魔」かもしれないし、天使ではない。しかし、悪魔の批判者は天使とはいえない。自民党政治と共産党執行部を批判するから自分たちが正しいと思うのは思い上がりに過ぎません。最大の問題は、そうした根本的な悩みと自己の思想の内面的苦闘の痕跡が欠落し、外部に向けるのが思想闘争と思い込んでいることです。