2003年11月23日付の私の投稿「2003年総選挙を評す」に対して、い・ちあき氏より同年11月25日付で「丸楠夫さんのご意見を」との投稿を寄せていただきました。その中で「これから期待される左翼陣営なり政党への提言を述べてほしい。」との求めがありましたが、私の見落としのせいで、3ヶ月余りもの間ほったらかしにしておくという結果になってしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。
あまりにも遅すぎるとは思いますが、ここに回答させていただきます。
2001年の参議院議員選挙は、いわゆる「小泉旋風」が吹き荒れた選挙でした。この小泉旋風に、野党側はもっぱら「小泉改革は真の改革ではない」式の批判を行うことで対抗しようとしました。
そして結果、惨敗しました。
ただしこの選挙で比較的健闘した野党が1つだけありました。
小沢一郎の自由党です。
自由党は小泉改革についてあれこれ有権者に問うよりも、自らの政策を「10通りの法案」と言う形で押し出すことに重点を置きました。
小泉が声高に叫ぶ「改革」のスローガンを、圧倒的多数の人々が期待感いっぱいの好意的イメージで迎えている状況で、小泉改革の「是非を問う形で」いくら批判をしても、それは相手が用意した土俵に、相手にとってもっとも有利な状況で、乗る結果にしかならなかったのです。
その点小沢は、小泉の土俵に乗ることなく、比較的自分のペースを確立することで選挙戦を戦いました。
これが、自由党と他の野党の明暗を分けた点ではないでしょうか。
無論私は、左翼陣営が自らの政策を明確にアピールしさえすれば、現在の凋落から抜け出せる、とは思いません。
どんなに立派な政策であっても、いや、その政策が立派なものであればあるほど、「理想論」「机上の空論」「現実離れした空想」といった非難がついて回ります。
そのような非難を粉砕するには、人々にとって身近な日常の現実、ないし切実な危機感に立脚して、政策が展開されなければなりません。
「小泉」と彼の唱える「改革」が、たとえどんなに人々に好意的なイメージを与えていたとしても、イメージはどこまでいってマイメージに過ぎないのであり、現実を隠蔽しこそすれ、なんら現実を変えるものではありません。
リストラの名の下に多くの人が突然職を失っている現実、サービス残業の名の下であからさまな不払い労働が横行している現実、過労死や過労自殺がいつ誰の身に起こってもおかしくないと感じられるほど、過重労働が蔓延している現実、有期雇用、人材派遣、業務請負の名の下でいつ生活の糧を絶たれるとも知れない状況にある多くの労働者の現実、…、…。
これらの現実をいわば人々に再認識させる形で「小泉旋風」の前に突きつけていたとしたら、そしてその上で、決して相手の土俵に乗ることなく(小泉の「こ」の字も出さず、改革の「か」の字も言わず!!)明確で簡潔な形で当面の解決策を提示していたら…。
従来からの左翼陣営支持層までもが、ものの見事に「小泉改革」イメージに絡めとられ、小泉内閣支持に回るなどということが起こりえたでしょうか。
最近共産党は「自民党政治を大本から切り替える」とか「財界の陰謀」とかいったフレーズを使い、自らと今日の表面的な政治動向なり、特定の団体、勢力なりとの間に、わかりやすい「勧善懲悪」」的図式を描き(これは問題の矮小化、社会のあり方そのものを根底から問う視点の後退をもたらしかねないという問題もはらんでいるのですが、ここでは深入りしません)、それで国民の支持を得ようとしているようです。
しかしこのような善悪二分法的な図式は、強力なマスメディアを有効に活用できる(というよりメディアの側でその一挙手一投足を追わないではいられない)政府・与党などならいざ知らず、マスコミに取り上げられることがどうしても少なくなりがちな野党、その中でもさらに少数会派である共産党などの左翼陣営が使いこなせるような技ではありません。
むしろ陳腐で底の浅い議論ととられかねません。
少数派の左翼野党にとっては、国会論戦でだけでなく、あらゆる機会、すべての宣伝活動を捉えて、人々が直面している身近な日常における現実の社会的困難や、切実な危機感を政府・対抗政党に突きつけ人々に再認識させるとともに、このような困難や危機感の原因に明確な代替案を持って立ち向かっている姿をアピールすること(「自民党政治」や「財界の陰謀」に立ち向かっているかどうかなど、極端な話、ほとんどの人がどうでもいいことと見なしているのが現状なのです)以外に支持を広げていく道はないでしょう。
先日、ついに自衛隊がイラクに派兵されました。
幸い、現時点では自衛官が殺されることも、誰かを殺すこともなくすんでいるます。しかし、自衛官を子供や配偶者や親に持つ人たちにとって、このことはまさに切実な問題のはずです。また就職難の中、自衛隊も就職先の一つとして選択肢に入ってくる子供や教え子を持つ親や先生にとっても、決して他人事ではないでしょう。さらに日本全体の右傾化、軍備強化とその積極的活用を図ろうとする今日の政治的流れを見るならば、10年後、20年後に「徴兵適齢期」を迎える子供や兄弟や孫を持つ人たちにとっても、今回のイラク派兵は無関係ではいられないはずなのです。
このような認識を広げ、人々の切実な危機感に立脚するならば、「非武装・中立・非同盟」という政策に再び現実的な息吹を吹き込むことも、可能なのではないでしょうか。
人々の「現実」の困難や切実な危機感をてことするならば、ただ既成事実であるというだけで、自らを当然の前提として受け入れることを強いてくる「現実」を揺さぶることも、決して「空想」ではないと私は考えるのです。
論考として不十分で、文章としても取り留めのないものとなってしまい、到底「これから期待される左翼陣営なり政党への提言」として満足いくものとはいえませんが(「3ヶ月も待たせてこの程度か」といわれれば返す言葉もありません)これでひとまず回答とさせていただきます。
3ヶ月あまりもの遅れ、本当に申し訳ありませんでした。