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一般投稿欄

長壁様 公開書簡 1

2004/3/7 天邪鬼、60代以上、画家

    春は名のみの風の寒さや
     谷の鶯 歌は歌えど
    時にあらずと 声も立てず
     時にあらずと 声にも立てず

 拝啓   きのう、今日真冬に戻ったような寒さです。だが街路樹の桜の小枝に固い蕾が春をまつようにびっしりと並んでいました。
 いろいろありがとうございます。あなたの文章は私を元気にしてくれるのでした。どれだけ年をとってもなれることができないのは差別です。障害者差別は戦争に直結し、戦争は差別なしにできない。そしてついに戦時下に入るとともに障害者差別がまず国家が先導し抹殺の前段階に入った。私は戦時下の幼い頃の恥ずかしくて、心の奥にしまいこんできた経験を「戦争と障害者」という題でここに載せてもらいました。
 それはイラク戦争反対、自衛隊派兵反対、朝鮮戦争策動反対のために、どのような障害があっても、表現できるわずかな手段を使い切って,渾身の思いをこめて訴えねば、自身が抹殺されるのだということをすべての障害者に訴えるためでした。私達は他人にこの問題を任せることはできない。そのように考えます。なぜなら私達は逃げ隠れできない肉体を引きずらねばならないからです。だからレジスタンス以外に生きる道はない。国会の周りに車椅子を並べてでも戦争に反対しなければならない。そういう切実な思いをわかっていただきたいために難しい話ではなく、自分の話をする以外にありませんでした。だがそのあとは虚脱したように疲れたものでした。
 しかしこのサイトでそれから障害者の問題で多くの投稿があり私も知らないことを勉強させていただきました。いろいろな知識によって判断しにくいことがありますが、俺達は人間だ、人間としての権利を持っているのだという、原点に立てばさほど難しいことはありません。それは部落問題にしても、民族排外主義の問題にしても、たとえ労働問題にしてもおなじです。部落民も、朝鮮人、アジア人、イラクの人たちも同じ権利を持つ人間だという立場にたてば、何の難しいことはありません。
 「人間を抑圧するものは何か」が、総論であり、「抑圧を跳ね返すためにどのように戦うべきか」が各章です。
 障害者の問題は、人類解放の各章の一節と位置付け、それとしての解決を人類解放、そのために反戦平和の鎖の輪のひとつに障害問題を位置付けしなければならないと考えています。それは度を越してもならず控えめすぎてはならないとも考えています。
 反戦の問題は大きな問題です。しかしどのような大きな問題も究極は個々の心の問題に帰しそこから発するのだと思います。一方で大きな問題や、どろどろした現実の問題とかかわりながら私は個人の心に伝わる、芸術、私にとっては絵画に還元させ集約させたいと思っています。けっきょく私は活動家でも、政治家でもなく、自分のホームベースに戻らねばならないと思っています。(もうすぐご覧いただけるようになると思います。)
 脱線しました。戻します。
 非常に好意的な障害者問題の投稿に混じって、差別としか言えないような投稿が入っています。障害者の父と名乗りながらこの人と生活する人は精神病にならされるのではないかと考えさせられるほど冷たい人間性しか想像できない投稿です。露店の八百屋よりもこの人のほうがもっとひどいと思うのは彼の投稿のおかげで傷つけられた障害者の仲間は私や新谷様だけではないでしょう。あなたは義憤を感じて描いてくださいました。
 私はもうこのさざ波から離れようようかとも思いました。しかし天邪鬼を名乗った限り千年、仁王に踏みつけられようとも必ず跳ね起きて仁王を倒してやらねばなりません。まだしばらくは投稿をつづけるつもりです。私の血は彼と同じ青い色でではありません。赤い血が流れています。人間を自動車のブレーキにたとえて、いたんだ部品を取り替えればいいという恐るべき思想のどこに人間の血が流れていると想像できましょうか。
 まだ脈があり、瞳孔が開いていないない人間を、ばらばらにし臓器を移植することが容認されているが、いずれその技術は貧しい人々や障害者を解剖し、あるいは捕虜や徒刑囚を解剖し金持ちや支配者の体の一部と取り替えられるという時代が来ようとしています。また脂肪の塊の美容術から得られた治療なんか腐ってもイランワイ。私はかれの一連の投稿からは理性よりも冷酷な人間性しか想像できません。かって七三一部隊がハルピンで3000人の捕虜を丸太と呼び人体実験を繰り返した、その後継者がここにも現れて不思議でない時代になりました。
 北朝鮮のサイトでは臆面もなく金正日政権打倒を叫び、北朝鮮に対するあらゆる制裁と有事法制を支持するひとびとが出てきました。この連中には日本人が朝鮮人、アジア人にしてきた戦前の行為戦後の行為に対する罪悪感は微塵もないのです。
 寄らば大樹の陰様が3.1独立マンセーについて書いてくださいました。わたしも調べていたのですが日本の米騒動との関連で書いてくださったことに目を開かせられした。さすがと思いました。

 「3.1独立運動の犠牲者は1919年3月1日から20年3月までの一年間、死者7645人、負傷者45540人、非逮捕者49811人だった。負傷syの中には目や四肢を失い不具者になったものも多い。また『不逞』の報いが待っていた。それは縛り上げて天井につるし上げ、焼き火箸を押し付けたり、爪の下に針を刺したり、鼻から水を注入したり、女性を裸にしたり、人間を家畜視する心理がなければできない拷問だった。」毎日新聞社 日本植民地史1朝鮮より

 戦後についても書かねばならないことは多くあります。だがこの排外主義者たちはあつかましくも、この左翼の欄でいけしゃーしゃーと北朝鮮制裁を呼びかけその結果としての朝鮮侵略戦争の水路をひいているのです。
 「真の左翼は北朝鮮の人権をまもる」。何だと。アナーキストが陥りやすい穴にすっぽりはまっているに過ぎません。偽の左翼が右翼と結合するのはアナーキズムの歴史に実証されています。第二革命が朝鮮人民の課題になっているがそれはあくまで南北朝鮮人民の課題です。私達は自力で日本革命の課題を遂行することによってしか戦争を防ぐことができないし、朝鮮人民を救うことができないのです。北朝鮮人民の開放を訴える主観的善意に立つ人びとの思想は日本革命から逃避するものです。結局日本共産党の革命からの逃避がこのような安っぽい人道主義の副産物を製造したのです。
 「人の頭のハエよりも自分の頭のハエを追っ払え」と朝鮮人は多分言うだろう。
 北朝鮮の核問題でいろいろ言うが、言っている国に核兵器が地球を全滅させるほどあります。アメリカのことを言っているのではなく、この日本国内です。横田、横須賀。佐世保、嘉手納ほか日本中の米軍基地に核ミサイルが配置されわれわれは核兵器を枕に寝ているのです。横須賀を母校とする米第7艦隊が核兵器を搭載して入港しないなどと誰が考えられるのでしょうか。
 「日本を北朝鮮がどうぞ査察せよ」となめた意見があるが日本人ですら米軍基地を査察できないのです。しかもいつでも核兵器生産工場に転用できる原子力発電所が日本中のいたるところの海岸にあります。原発の事故云々よりもその加害性を問題にした議論があったでしょうか。青森県六ヶ所村のプルトニューム貯蔵庫は何のためにあるとその連中は思っているのか。他国の核に目を凝らしながら近視もいいところ、足元の核武装にすら目が行かないならば、ある日、太陽が二つ光って蒸発するしかないだろう。北朝鮮の核を騒ぐ暇があったら基地反対闘争に立ち上がり、日米安保条約反対に命をカけたらどうなのか。
 結局彼らの主張は北朝鮮の武装解除と日本帝国主義の朝鮮侵略戦争に呼応するものです。そして日本共産党もイラクの開戦前の査察主張が正しかったといまだに言っているのだから朝鮮戦争の前夜には北朝鮮査察を叫びだすのに決まっています。
 ゆでがえるといえば私もその一匹です。そのような言葉はなんの悪口でもありません。日本人全部が釜の中でゆでられているという現実を指しているに過ぎないからです。しかし自分達が釜の底からあぶられていることも知らないゆでがえるでは、そこから飛び出して火を止めることもできないのですね。あなたは罵倒以上に自覚せよと必死に訴えているのですね。イラク戦争が自分の生活と直結していない鈍感さでは生きていけないのだ。そのように受け取りました。女性に当てるには殺風景な手紙になりました。
 公開書簡とします。
 寒の戻り、油断しないでください。     敬具                               天邪鬼