投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

日の丸・君が代強制者の心の闇

2004/4/1 勘太郎、50代、教師

 東京都の野蛮な日の丸・君が代強制・弾圧が心ある人びと(石原都知事を選んだ多 数の東京都民は残念ながらその中に入らない)の怒りをさそっています。
 しかしかってドイツ農民戦争のドイツ農民は「われわれを辱める鉄鎖の中から、わ れわれは輝く鉄剣を鍛え出すのだ」というむしろ旗をかかげました。その心意気を現 代の日本人民も受けつがねばなりません。このような野蛮な攻撃の中から真の民主主 義をわれわれは造っていかなければなりません。
(それにしても今回の強制・弾圧を可能にしている国旗国歌法の制定が、日本共産党 の国民的議論とやらの提案からはじまり、野中広務氏によって成立したことを、日本 人民は決して忘れてはならないと思います。このことについてはそのうちに論じたい と思います。)
 しかし日の丸・君が代を他人に強制する人の心事に、軽蔑と同時に一抹の哀れみも 感じます。そのような人の顔を観察すれば、多くの人が感じることでしょうが、「静 かな確信」などはみじんもなく「怒り」と「あせり」があるだけです。それはなぜか。
 彼らのすがりつく天皇制イデオロギーには人類に普遍的に通用する内容は何もあり ません。静かに他人を説得できる論理は何もありません。世界の他の国の人びとに誇 れるものは何もありません。
 つまり彼らは無内容に生き、無内容に死んでいく人びとです。現在は社会の権力の 側にいても、心底から人生に充足感を覚えられる世界観・人生観を彼らは持っていま せん。そしてそのことは彼らも意識の深層で自覚せざるをえません。
 だから彼らの無内容な価値観(天皇制イデオロギー)を否定する人びと(君が代を 歌わず日の丸に敬意を表しない人びと)に、彼らは彼らの人生が全否定されているよ うに感じるのだと私は思います。そう考えるとあの人たちの「怒り」と「あせり」が 非常によくわかると思います。
 だから日の丸・君が代・天皇制イデオロギーに対するどんな小さな抵抗でも意味が あることになります。われわれはありとあらゆる機会に天皇制イデオロギーの無内容 性を暴露し、宣伝し、表現しなければなりません。
 天皇制イデオロギーが無内容であるという真実をまげることは誰にもできない。し たがってわれわれはついには勝利するでしょう。

 追伸1
 私はかって拙稿「スペインの無差別テロに思う」で、無差別テロ後の1000万人 デモにアスナールなど政府関係者の参加を許したスペイン人民に遺憾の意を表明しま した。しかし最近の『週刊MDS』を見ると、バルセロナなどでは政府関係者はデモ の隊列からたたき出されたそうです。スペイン人民の過小評価を同人民と本サイト読 者におわびしたいと思います。

 追伸2
 イラク戦争欄で先日、天邪鬼様から私にパレスチナ問題の参考書「1・2冊」を教 えよという要請があったのですが、私はそれを読み違えて(いよいよ老眼かな)「1 2冊」(+3冊」あげてしまいました(投稿した後で気がつきました)。お目汚しに なりますが、実害があるとも思えないのでそのままにしておきます。ご笑覧いただけ れば幸いです。