丸楠夫さん、再び仕事上の多忙さから返信遅れたことをお詫びいたします。
常々思う事ですがこのインターネット上の意見の交換と言うのは本当に難しいもの
と思います。顔を見合わせて論じ合えばそれなりに分かり合えることはあるのだと思
いますがネット上では論ずれば論ずるほど「誤解」が深まるような気がします。
この間の丸楠夫さんとの一連の意見の交換も私にとっては何か新たな希望を抱ける
ような展開ではありませんでした。それは丸楠夫さんにとっても全く同じであるかも
しれません。
前回の投稿で丸楠夫さんは私が日本共産党に対して抱いてる苛立ちと同じ苛立ちを
感じておられると仰っています。ならば私とあなたの間には何の意見の相違も(少な
くとも大きな)ないはずです。私があなたに投げかけた「真性共産主義者」という呼
称もまさにレッテルになったでしょう。もちろん私は全てあなたが「こうしておられ
るならば」、「日本共産党員であるならば」という条件付きで申し上げたので一方的
な「レッテル張り」とは違うと思っています。
もしあなたが本当に私と同じ問題意識にたって日本共産党に対して同じ苛立ちを感
じておられて私が条件付で申し上げたような行動を取られていなければ私があなたに
投げかけた「真性共産主義者」という呼称は撤回しなければならないでしょうしその
事は前回の私の投稿でもあなたがそうでないと仰るならそれでいいと申し上げたはず
です。
しかしそれでも私はあなたの「問題意識」が今もよくわからないのです。あなたが
論じた多数の点全てに応えるほどの気力はもはや私にはありません。ひとつだけ「政
権獲得至上主義」(丸楠夫氏の言)と「政権強奪至上主義」(丸氏の言に対する私の
造語)についてだけ申し上げておきましょう。
前回の丸楠夫氏の投稿からの引用です。『氏自身(日陰のもやし)前者(政権獲得
至上主義)と後者(政権強奪至上主義)の違いが「レベル」の差でしかないと考えて
いらっしゃるのは間違いないと思います』と述べておられますよね。丸楠夫さん本当
に私の投稿がそういうふうに読めましたか? 私の言いたいことは全く正反対ですよ。
私が言いたいことはそこに「レベルの差」ではなく人間にとってあるいは人間社会に
とって「本質的な問題(差)」があるということなのです。つまり武力を背景にした
非合法な「政権奪取」はいかなる場合でも(それが「共産主義」への人類社会の進歩
の一段階だという美名の下でも)許されないと言う事ですよ。私が言いたいことはそ
れだけです。もちろん丸楠夫さんも同意されますよね。
私はあなたの何回かの投稿を読み返してもあなたの方こそ『レベルの差としか考え
てない』と感じたのです。あなたこそこの「本質的な差」を見過ごしておられると少
なくともあなたの文章からは感じられたのです。だからその「本質的な差」を語るこ
となく旧共産主義国の政権を論じておられるならそれは「旧共産主義国」の現実から
目をそらし自らの出生もそこにあることを無視し続ける「日本共産党」の態度と共通
するように私には思えたのです。そこで「真性共産主義者」の称号を差し上げたわけ
ですよ。
私の「誤読」なのでしょうか? ただあなたは前回の投稿でこうも述べておられま
す。『両者(政権獲得至上主義と政権強奪至上主義)は“共”に批判されなければな
らないはずです』と。私にはこれも多くの戸惑いを感じさせる文章です。確かに両者
は批判されなければならないでしょう。でもどちらをどう批判するかですよね? 私
にとっては旧共産主義国の「政権獲得至上主義」はイコール政権強奪でしかなかった
わけですしそれなくして彼らの「政権維持」はなかったのですから何よりも旧共産主義
国の「ファッショ的政権強奪」を批判せねばと思うのです。
それに比べれば現在の日本の政党における「政権獲得至上主義」はまだ一応は「民
主主義の範疇」の行為かと思いますよ。例えば私は現在の公明党に対してそのような
認識を持つのです。先日の衆議院補選でも自民党が完勝したのは創価学会という存在
なくしてはなかったでしょう。多くの国民は自民党を見放しつつあるが最後の最後で
自民党を支えているのは実は公明党・創価学会であると思うのです。丸楠夫氏の問題
意識とは異なるかもしれませんがこのような政党はもっともっと批判されなければな
らないと思います。しかしだからといって公明党と旧共産主義国で政権党であった共
産主義党を「レベルの差」で論ずることは出来ないとも思うのです。
逆にこれは以前にも申し上げたのですが現在の日本共産党に感ずることはあまりの
「政権獲得」の意思のなさです。もちろん現在の日本国民は共産党を政権に就けたい
という意思は持っていませんから共産党が政権に就けないのは当たり前すぎる事です。
しかし一方で現状の「自民党政権の固定化」に「貢献」している事は間違いないと思
うのです。やはり政党は政権に就く意思と努力を国民に示してこそその存在意義があ
るのだと思いますよ。ただ一旦政権に参加したらばまさに現在の公明党のように取り
返すこと出来ないおおきな責任と歴史的罪科が刻印される場合もあるのだとも思いま
す。ですからその参加と離脱の決意にこそ政治家、政治集団の真骨頂があるのだと思
います。
ただ日本共産党にとっては旧共産主義国の政権党と共通のルーツと体質を持つとい
う歴史的弱点を持ちながらかと言って現状の日本政治の中で政権に参加できるほどの
大胆な自己変革もできないという(つまり『政権獲得至上主義」になる危険性はない)
二つの弱点を抱えているだけにその批判はそう単純には行かないと思います。
これらのことにも丸楠夫さんは同意されるのではないでしょうか。もしそうだとす
るとあなたと私の違いは何なのでしょうね?今回のことで私が学んだことは物言えば
それは全て自分に帰って来るということです。批判をすればその批判はすべて自分に
帰ってくるのです。私があなたに申し上げた「事実に拠って立ち」、「わかりやすく表
現力豊かな文章を書き」、他人の文章は「よく読みましょう」という事は全て自分に
帰ってくるのです。一般社会でももちろんそうですがネット上では相手の顔をが見え
ないだけにそれはより強く意識しなければならないのだと実感しました。その事がわ
かっただけ丸楠夫さんとの意見の交換には意味があったと思っています。しかしまた
同時にネット上での意見の交換には大きな限界があると認識したのも先に述べたとお
りです。
現実世界のことは現実世界でできれば顔を見合わせて論じるべきだとの反省もこめ
て今後の丸楠夫氏の諸活動に期待しつつ私の投稿を終えたいと思います。