最近、さざ波通信からはとんと遠ざかっていたのですが、今回の邦人拘束事件に際して、再びHPを訪れてみたいと思いました。
党員討論欄の方も読ませていただきましたが、どうもこちらの方は今回の邦人拘束事件に関して一貫した認識をお持ちの方が多いように見受けられました。(ちなみに私は右翼でも自民党に組するものでもありません。信じられないのならば、それでも構いません。)
このような反政府論・反マスコミ論に対しての意見の中では私こそ非国民的な発言と受け止められるかもしれませんが、それでもあくまで自分の見解を書かせていただきます。
一部の勢力によって拘束されていた5人の方が開放され、無事帰還しました。
極度の心労はあったかと思いますが、命を失わず無事に帰還したことは何よりも嬉しく思います。
これは拘束中から言われていたことですが、いわゆる『自己責任論』が席巻しているようです。
これは皆さんから見たときには、全くのデタラメ、ともすれば(政府の)陰謀的に受け取られた方も多いと思います。
私は思うのですが、政府側の本音とはNGOであれば、「国よりも成果を挙げられては困る!」とか、ジャーナリストに到って言えば「国に批判的な内容を伝えられては困る!」などの理由から、現地に何らかの目的を持って行く人間そのものを規制したいねらいがあるのだと思います。
これは、誰の目から見ても明らかで、私のような一般人でも気が付くことでしょう。
そして、それに異を唱える方の意見も耳にします。
それは分かりますが、何故、事件解決後にこのような話が飛び交うのかが可笑しいと思うのです。
ここのところ、そういう政府の言い分と、それに対する側の言い分を第三者的(傍観者的)に眺めていて、全く違う考えが頭をよぎるようになりました。
それは何かといえば、拘束した犯人の側の悪を唱える人間が全くいないことです。
全くとは言いません。
誰しも心の中では、酷いことをした人間に対する怒りがあるでしょう。
確かに政府の米追従姿勢や自衛隊派遣が拘束事件の原因であり、それは一番の前提として考えなければいけない事なのかもしれません。
しかし、前提である問題の議論の中で、犯人側の暴挙が埋没していっているように思えるのです。
冒頭にも書きましたが、私は政府関係者でもないですし、共産党員でもありません。
あくまで一有権者たる身です。
これは誓って言います。
確かに大本となる理由があって、それが事件そのものを生んだ要因であると考えることは理性的だと思いますし、正しいものの見方だとは思います。
そして、その主な原因は「NGOやジャーナリストが危険地帯であるイラクに行ったため」ではないと、私も思います。
しかし、実際に起こった事件だけを見たときに、実際の加害者と被害者が存在することも確かです。
犯人側の要求は、日本政府に対して自衛隊撤退を求めるもので、それが行われなかった場合は拉致した人質を殺害するというものでした。
これは明らかに暴挙です。
たとえアメリカが何をし、それに追随している国だからという理由があったとは言っても、それは何の理由にもなりません。
むしろ反米という要素を正統化の道具に利用しただけの、愚劣な行為だと私は思います。
これは反論される方もいらっしゃるとは思いますが、もしも犯人側の要求を一段深く解釈すれば、反アメリカ(逆にいえば親イラク的)姿勢を持ってくれる国のNGOならば、その安全を保証する。
ということにはならないでしょうか?
だとすれば、NGOでも誰であったとしても、その国の政府が自分たち(犯人側)の言う通りの姿勢にならなければ、その国から来ている人間の安全は保証できない、ということを示唆しているものではないでしょうか?
このような解釈は一般論でも専門家の意見とも違うとは思いますが、一番狡猾でイラク支援の妨げになっているのは、こういう暴挙を起こしてまでも反アメリカという大義名分を通そうとしている人たちではないのでしょうか?
メディアを最大限に活用し、反米思想を拡大させ、意図的な世論操作をしようと思っている人ではないでしょうか?
私はそう思います。
ちなみに断っておきますが、これは政府を擁護する目的があって言っているのではない事を誓います。
確かに民主主義的には体制に批判がいくというのは正しいことかと思います。
下手をすれば、在日イラク人に憎しみの矛先が向けられ、短絡的な発想からヘイトクライムも起こりかねなかった恐れもあったかと思います。
そういう意味では、日本国民の質もまだまだ地には落ちていないように思うのです。
最近、どうも国論が二分されすぎているように思えてなりません。
イラク問題以外でも、「米国に荷担すれば、その国は滅ぶだろう」などという発言をしているテロ組織がありますが、これは確かにアメリカの問題点を浮き彫りにさせる効果があるのかもしれません。
しかし、たとえその発言がアメリカに対しての抑止力となったとしても、脅迫的なものであることは否定できません。
もしも、そのような事が結果的にでしょうが起爆剤・推進剤となり、アメリカが撤退するというのはいかがでしょう?
最後に、お願いみたいになって申し訳ないのですが、私はこういった、いわば『テロの追い風』を受けた形の政府批判は望みませんし、できれば止めてほしいと思います。
水を得た魚のように活動している今の動きは、いささか疑問に感じますし、おそらくは、そう思う人間も一部でしょうがいると思います。
これが私の『ゆでがえる』である所以です。
対米の潮流がいかがかではなく、正しい民主主義のあり方を貫いて、世界を正しい方向にもっていけたら素晴らしいと思っています。
民主主義というものは、元々、反何々だとか、反体制がどうだなどの『闘い』などという要素からは無縁であるものだと信じたいです。
一人一人の国民が正しい解釈をして、それが流れとなり良識ある社会を作るものだと信じています。
少なくとも、テロに導かれた形のものにはなってほしくないです。
確かに今の日本政府は圧倒的な権力を持ってして国を動かしているかもしれません。
世界でいえば、アメリカがそれに当たるのかもしれません。
しかし、それに反対する側にあっても、汚れたものになってはいけないと思います。
私の好きな作品に、このようなくだりがあります。
それで締めたいと思います。
「人格者で、民の事を第一に考えられる優れた資質を持った君主のしいた専制政治と、無能な人民が無能な代表を選出し、その代表が国を貶める制度を作る民主政治、これはどちらが意義的に価値があり、どちらが民の為に貢献していると言うのだろうね?」