先日、地元で行われた日本共産党大演説会に参加しました。私は党員ではありませんが、党員の方々と交流のあるものです。ですから、時々党の催しに行くのです。そこで感じたことを「日陰のもやし」さんにも読んでいただこうと思いました。
「日陰のもやし」さん(以下、貴方と記します)は、共産党には「政権を獲得する意欲が感じられない」と言っておられます。それは、まったく事実だと思います。共産党の催しに参加するたびに感じる違和感、それは第一に「人々の熱気のなさ」と「人々のエネルギーの低さ」です。
先日の演説会は、平日の夜でしたから、現役世代の参加者が少ないのは予想されました。しかし、それにしても、この「老人ホームの説明会」のような雰囲気は何なのか? 昨年の赤旗まつり(休日に参加した)でも感じた違和感に襲われました。実は私は、関東地方に住んでいて、近くには創価会館などもあります。そこで学会の方達の様子も目に入りますが、彼らはもっと「エネルギッシュ」で「明るい」です。身につけているものも良いもので、何よりも「エネルギー」に溢れています。
貴方は公明党の政権との関わりについて論及されてますね。私は、貴方の投稿をすべて読んだわけではありませんから、貴方はこうだと決め付ける意思はありません。ここで言いたいのは、公明党指導部が小選挙区制の導入に当たって、どれほどの苦悩と決断があったか、それに対して、共産党指導部が、いかに何も考えず「前例主義」を踏襲したか・・・です。その点に関しては、創価学会は「敵」として評価するべきだと思っています。
公明党は、共産党組織の数倍の規模はあるであろう創価学会をバックにしていますから、そのプレッシャーも大きいはずです。組織員から具体的な成果を求められる、政党として当然の圧力があります。
しかし、共産党の指導部にそんな圧力があるでしょうか? ほとんどないのではないでしょうか? なぜなら、想像するに「共産党員は別に現世の利益は求めていない」からです。共産党は、実は宗教的な支持基盤を抱えているのです。
私が個人的に存じ上げている党員の方で、ぎりぎりの生活をしている人はほとんどいません。私が一番貧しいです。したがって当然、私は「現世の利益」に関心があります。護憲とか改憲とか、はっきり言って「現世」の問題ではありませんし、党の綱領改正など、一般人民から見れば「神の国の到来」を議論するに等しいことです。こういった議論に熱中する党員の方々を横で見ていると、やはり「裕福だなあ」と感じるしかありません。
しかし、不思議なのは、この裕福な党員達が「見た目」には貧しく見えるのです。なぜでしょう? お金があるくせに「戦後サヨク」的な一見貧乏くさい服装をすることが暗黙の了解事項なのでしょうか?
それとも「現世」を超越して「仙人」の域に達していて、脂ぎった、エネルギッシュな雰囲気も迫力も捨てているから、貧乏くさいのでしょうか?
ご存知の方があればお教え下さい。
話がそれたかもしれません。貴方が言う「政権への意欲」について思いますに、党員自身がまず「政権なんか狙うことはない」「共産党らしさが大切」などと言っているうちは、指導部も本気にはならないでしょう。本気にならない政党に、有権者も迫力は感じません。
堂々巡りで、結局は前例主義に流れる。高齢化して思考停止した党員も追随する。若者は、そんな「カクシン政党」にイライラする。ネットに溢れる若者の「サヨクバッシング」には、その一面もあると感じます。戦後民主主義の「成果」である若者から徹底的に嫌われる「戦後サヨク」とは何なのか? しかし、共産党が生まれ変わる可能性もあるのです。
それは、高齢化した党員が近い将来、みんなこの世を去るからです。小池政策委員長、あなたの出番! あなたの話は面白かった! 平成左翼のリーダーになって下さい。志位さんは早く辞任して下さい。