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人質問題と世論

2004/4/17 北野勇、40代、労働者

 さて、人質の無事が確認されまことにめでたいことだと思う。
 この間、いや、この先も、この三人の行為をめぐり、心無い愚民らの非難は彼らとその家族を苦しめるだろう。しかし、一方で、まじめな大衆の多くが、彼らの行動に疑問を発していることに対しては真剣に受け止めねばならない。
 彼らの行為の動機は、まことに立派なものである。しかし、彼らに何ができたのだろう?数人のストリートチルドレンを救ったかもしれない、劣化ウラン弾に対する注目を世間に喚起したのかもしれない。しかし、そんなこととは関わりなく多くのイラク人たちは戦乱の中で一部の企業の利益のために今も虐殺されている。
 それどころか、小泉は、彼らの行為をたてに、自衛隊派兵の正当性を宣伝し、救出に向けた取り組みで人道主義と強固な政治姿勢をアピールした。虐殺の張本人でさえ彼らの行動をたたえだした。
 彼らの主観的願望がどうであれ、またその行為の献身性がどうであれ、現実の政治はそんな彼らをも利用して自己の正当化を主張するのだ。すなわち、イラク人虐殺の。
 多くの大衆はそのことをよく知っているのだ。
 これまでの平和運動はまったく無力だった。NGOやボランティアは確かに立派かもしれないが、彼らがイラクの人々を救う以上に、権力が彼らを利用し戦争の正当化を計っているのではないか。彼らに対する大衆の批判は、「自衛隊撤退拒否判断は正しい」というものであったが、自衛隊という実力を持った力がないとイラク人を救うことはできないという素朴な気持ちから発したものだろう。
 これは決して戦争支持ではなく無力な平和運動への痛烈なる批判なのだ。
 必要なのはイラクで闘うことではなく、日本で、イラク戦争の本質を暴き、小泉政権の欺まん性を暴き、無力な野党に代わる本当の人民の権力を、小泉政権に対峙させることを通じて、イラクに平和をもたらさなければならないことを、無意識に求めた大衆の批判なのだ。