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3.15,4.16を忘れるな!

2004/04/19 ht 40代 労働者

 昨日4月18日、東京霊園で行われた革命英雄記念祭に参加してきた。
 ここには、日本共産党の創立者にして再建者たる徳田球一はじめ、渡辺政之輔、市川正一ほか、亀戸事件で虐殺された若き青年たち、ただひたすらに革命を信じ、その信念を貫き通した人々、あるいは、闘う人を支えた名もなき人々が祭られている。(小林多喜二、樺美智子もいる)
 1928年3月15日と1929年4月16日に全国で一斉に、共産党員や活動家が逮捕検挙されたが、二つの弾圧を合図に日本軍国主義は侵略戦争を開始していった。彼らは獄中に入れられ、転向を迫られた。残虐な拷問は悲惨を極めた。
 国領伍一郎にあっては、彼が過酷な拷問で痛めつけられやつれた姿をみた親から、命あっての活動だから、形だけ転向して、牢屋から出て、体を養生してからまたやればいい、と説得されたそうだ。そのとき彼は、党に傷がつくと断固として拒否したそうだ。
 まさに、権力が恐れるのは、共産主義者のこのような不屈の精神であり、その恐怖の証として残虐なテロルを加えるのである。

 確かに現在は、そんな明白なテロルはない。しかし、あの人質三人とその家族に対する、政府とその追随者の発する自己責任論はまさに、残虐なテロそのものではないか!無論、表面にでない多くの支援者たちはいるだろうが、あの三人は完全に孤立した状況に追い込まれている。
 敵は、完全な左翼弾圧キャンペーンを張っているのに、かれらには善意しかない。彼らを勇気付ける思想的政治的支柱が何もなく、彼らの運動と結びつく国内の運動も何ひとつなかった。結果、彼らは敵のテロ対策チームに引き渡され、外務省の戦利品のように日本に運ばれてきた。
 国領伍一郎は、もっと厳しい状況を闘い抜いた。なぜ、それができたのだろう?何も彼が特別に意思の強い人間だったからではなく、党に対する深い信頼と確信があったからに他ならない。べつに共産主義者である必要もない。あの三人の闘いを思想的政治的に引き受け支えられる確固とした党が必要なのだ。彼らを励まし、彼らに勇気を与えられ、敵の自己責任論を木っ端微塵に打ち砕く純粋で強固で断固とした党が必要なのだ。

 3.15,4.16を忘れるな!と多喜二が叫んだのは、このことなのだ!!