はじめまして「地球の子ども新聞」です。
イラクで拘束された5人の解放は
世界的なNGOのネットワークの成果と思いますが、
それを認めたくない好戦主義者によって、
言論がのっとられたことに危機感をもち、
「地球の子ども新聞」の意見をまとめました。
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「自己責任論」ではなく「社会的責任論」を!
この間の自己責任論の議論には何か座りの悪さがあるように思います。
そもそも人道的活動やジャーナリストの活動は
自己責任論の文脈で語るべき内容なのでしょうか?
生命と人間の尊厳を守る社会的責任論の文脈で語るべきです。
自己責任では解決できない社会的テーマだからこそ、
より正確にいえば、グローバルガバナンスのテーマに
自己責任を持ちだしてくるところに
明確な政治的意図があり、議論をするにも
座りの悪さがあるのではないでしょうか?
この政治的意図を隠すために、政府や御用新聞は声高に
なっているのだろうと思います。
つまり、人道援助活動もジャーナリズムも
危険なところにでかけないで成立するはずもありません。
政府による退避勧告がでるような混乱地域だからこそ、人道援助が急務であり、
ジャーナリストも報道する使命を感じるのではないでしょうか?
そして、何よりも彼ら5人は被害者です。
被害者に責任を問うのはいじめの構造と同じリンチです。
DUの絵本をつくろうとして入った今井くんに対して、
絵本をつくるのが目的なら、そんな危険な時に行かなくても
という指摘は常識的に聞こえますが、
彼の活動を絵本づくり一般に解消し、その人道的な動機を隠蔽しているのです。
いうまでもなくDUは非人道兵器と国連人権小委員会で決議されています。
とくに放射能兵器は成長期の子供たちに襲いかかるからこそ、
子供たちだけには一刻も早く伝える必要があり
一日も早くつくりたいと考えるのは正当な動機です。
この議論の座りの悪さといい、相手の土俵といったのは、
このような動機の隠蔽を政治的意図のもとに行っていることです。
つまり、動機を批判できないため、現象を裁いているのです。
そして、本来、社会的責任論の問題を自己責任の問題にすり替えることで、
政府は国家的・社会的責任をあいまいにしているのです。
このようにロジカルタイプをすり替えることは、詭弁術の常套手段、婉曲法です。
この婉曲法を逆手にとれば、国連決議を得ることなく
戦争をはじめたアメリカとイギリスの「自己」責任こそ問わねばなりません。
政府はその「自己」責任を2つの安全保障理事国にまっとうさせるためには
はじめから自衛隊を送るべきでなく、即時に撤退するべきことになります。
すでに政府の主張には首尾一貫性がなく、論理が破綻しています。
今回、拘束から5人が解放されたことを機会に
自己責任論の罠から抜け出し、社会的責任論の文脈で語ることが重要です。
そして、はじめて彼ら5人と自衛隊の社会的責任とを比べ
正当に評価する議論ができます。
つまり、イラクの民衆は5人の人道活動を評価し解放した。
一方、自衛隊の「人道復興」援助を認めなかった。
この厳とした事実こそ重要です。
この現実に政府ばかりでなく国民全体が向かい合わねばなりません。
「問題は自己責任論でなく、社会的責任論を」という議論のテーブルが必要です。
さらに、イラクの民衆は当然のように
自衛隊の活動が「人道援助」を隠れみのにした
軍事活動(米軍の兵員、武器弾薬の輸送業務)を本分だと
見抜いた事実にも注意を促す必要があります。
久間元防衛庁長官が「支持でなく、理解が」良かったと
小泉首相のイラク政策を批判したのは、
人道復興支援のカムフラージュが失敗したと評価したからと、
考えられます。
今後、自衛隊がイラクで安全に駐留し続けるには、
彼ら5人の教訓から学びとることが必要です。
自衛隊は5人のように非武装で、
すなわち武装解除して人道復興活動を続けるか。
そうでなければ撤退するか。
武力衝突に荷担するかの分かれ道にあります。
少なくともイラクの民衆に自衛隊は嫌われた現実を
市民運動は宣言しましょう。
人道援助を語る資格がないのではないかと告げましょう。
多くのPR活動をしても軍靴で踏み入れることは理解されず、
ただ税金の無駄づかいにしかならなかった現実から
小泉政権の社会責任(自己の社会に対する責任)は重大です。