イラク戦争は悲惨であると同時に、アメリカ後の世界のあり方を示す重要な教訓も明らかにした。
それは第一に、ファルージャ包囲戦をめぐる、スンニ派とシーア派一部との提携である。
これはまだ、ほんの萌芽にすぎないが、反米という実践的課題が宗教対立を克服させた貴重な教訓である。これまでの中東戦争がことごとくイスラエルに蹴散らされてきた原因である中東各国の分裂を、統一した力にしうる可能性を示唆するものである。これは主敵が明確になれば、どのような諸勢力も統一して戦えることが可能であることを示した。
第二に、戦火の中、多くの若者たちが危険を顧みず、イラクに残り献身的な活動を行っていることである。いつの時代でも未来を切り開くのは、このような若者たちの行動力である。同じ時に華やかな六本木や赤坂でショッピングする多くの人々がいて、我々の目にはそういう平和な景色しか映らないが、彼らのような人々が必ず居るということを忘れてはならない。彼らの献身的闘いが孤立したのは、日本国内の平和運動の念仏的運動に原因がある。日本の階級闘争とイラク戦争はまったく同じ問題であり、そこに自分たちの権力を打ち立てるという観点で闘う必要がある。
第三に、戦争の勝敗を決するのは軍事力ではなく、どちらに歴史的進歩性があるのかという大儀にあるということである。ブッシュによる戦闘終結宣言以後、誰もが傀儡政権による統治委任が近いものと思わせた。ところが強力な軍事力を背景にした傀儡政権さえできなくなった。かつては軍事と経済という二本足の支配が一時的な平和を生み出し、そこに新しい搾取と収奪の支配の体系を確立できたが、もはやそれは不可能になった。なぜ不可能になったのか?アメリカの独占資本の富の増大が貧富の差を拡大させ、階級対立を激化させたからに他ならない。歴史は金儲けのための自由と民主主義から人民の生活と権利を守る自由と民主主義に進歩性を認め、アメリカ帝国主義を敗北せしめたのだ