私のぶっきらぼうな提起にご丁寧に答えていただきありがとうございます。目指すべきものは全く同じものであることに確信を持ちました。しかし、その方法論、そのための基礎理論や歴史認識、あるいは哲学観において、大きな食い違いがあると思いました。
その第一は、かつて革命党(前衛党)は存在したことはない。
第二は、運動の原動力は、量が主であり、質は従である。
第三は、デモや集会が現実を変革する力である。の三点に集約されると思います。
第一の前衛党の問題ですが、私は、存在したと考えます。これは、現在において真剣に社会を変革しようと考えるものにとってその存在の根源に関わる問題です。歴史的にはマルクス主義の実践の継承でありその不充分性を革命の後継者たちが止揚していくことであり、マルクスの時代は社会主義と共産主義の宣伝と扇動の党として、マルクス・エンゲルスがその歴史的役割を開始して以降、レーニン・スターリンの権力奪取と社会主義建設の党を経て、現在は、奪取した権力を変質させない党の建設が求められていると考えています。こういう継続性のなかで自分たちの運動を位置付けないと、結局は自己否定にいかざるえないと思います。
第二の量と質の問題ですが、私は、あくまでも質を基準にした量でなければならないと考えます。デモや集会の参加者の主戦場は街頭ではありません。彼らの職場や地域です。イラク問題は、生活と権利、自由と民主主義、人間性の尊厳に関わる問題です。これを抑圧しているのは、アメリカ帝国主義と日本の独占資本です。この支配と抑圧と闘うことが求められています。そのような労働運動や大衆運動を指導する質のある前衛党がなければ、このような運動を指導し組織することはできません。
第三はデモや集会は、それだけでは何の力になりません。全国至る所での大衆闘争と結合してこそ、自公政府とブッシュ政権を震撼させる力となります。そのためには自分たちの権力を作ることです。60年安保のときの国民会議がその手本です。イラク戦争は帝国主義の生きるか死ぬかの切羽詰まった戦争です。その権力の生存をかけた必死の戦いです。これに対して、人民の側も生きるか死ぬかの本格的な闘いを迫られています。イラク人民の頭に落ちる爆弾と日本人民の受ける首切りや権利の蹂躙は全く同じ階級的性格を持っています。であるなら、日本における一切の大衆闘争はイラクの人民と共にアメリカ帝国主義に対することを意味します。
以上、ご意見をお聞かせください。