暴力(アメリカ帝国)と暴力(反米勢力)の間で人間の良心やら善意やらが、政治の道具にされ、利用され、踏みつけられる。
彼ら三人の命は、献身的で誇るべき人間的な命を否定され、非情な政治の材料としての命として現象している。
これは、人間が現実の政治と無関係に、その良心と善意が発揮される世界に住んでいないことの明白なる現実である。
金儲けの「自由と民主主義」を掲げ、イラクを蹂躙する暴力とこの暴力に対抗するための、非情な決意をもった暴力の世界に、人間の良心と善意のなんと無力なことか!
「批判の武器は、武器による批判にとってかわることはできない。物質的な力には物質的な力で対抗しなければならない」これは、マルクスの有名な言葉であるが、この言葉の教えることに従えば、本当に人間的な良心と善意が発揮される世界を創ろうと思えば、この金儲けの自由と民主主義を掲げる帝国主義を、物質的な武器によって批判しなければならない。
それは、日本にあっては小泉政権の打倒であり、そのことを通じたイラク撤兵以外にない。(この場合の武器とは、権力のこと)
そのことが、日本にいながら、イラク人民と連帯してアメリカ帝国主義と闘う本当の批判の武器であろう!