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理性的議論を妨げる淵源について(スパルタクスさんへ)

2004/05/02 N.K

 「論には論で応えるべき」とのご意見に全面的に賛同します。その上で、これを読まれる機会があるかわからないし、どれだけうまく伝えることができるのか心もとないのですが、私の問題意識に即して、以下のことを書かせていただきます。
 まず、スパルタクスさんが対象とされている投稿は、2チャンネル的罵詈雑言のような問題外のものではないと思います。このサイトで少なくとも共感してしまう人がかなりいらっしゃるのも、そのためでしょう。彼ら/彼女らは、むしろ「マインドコントロール」や「プロパガンダ」に自らが「洗脳されていない」と思えばこそ、自らの「理性的な正しさ」に基づく「怒りの表出」と、「理性的な議論」そのものの区別がつかなくなっています。
 なぜそんな事態に陥ってしまうのでしょうか。
 政治や社会の認識には複数の立場・解釈がある、という多元主義的・複数主義的認識論が欠落しているからだと思います。それは自由民主主義社会(ブルジョワ民主主義と言ってもよいです)では当たり前の前提です。たとえば、自衛隊のイラク派遣に賛成するという立場・認識が当然あるし、あってよいという前提が欠落しているようにも思います。これは実は恐るべきことではないでしょうか。
 権力を握った共産主義者による警察国家化や大量虐殺も、小セクトの内ゲバも、日本共産党指導部による徹底した反民主主義的党運営も、いわゆる無差別テロを擁護してしまう脱線ぶりも、それらにつながっているのではないでしょうか。
 だから彼ら/彼女らが何か特別にひどいわけではない、むしろまじめに考えている人々なのだと思います。問題なのは、複数主義的な社会認識を前提できず、自らの言説の正しさを絶対化する傾向を、左翼・革新派がかなり内在させていることです。この傾向・思想が運動や体制として確立されたものが左翼全体主義ですが、それを十分に(特にこの日本では)克服できていない点を考えるべきではないでしょうか。もちろん左翼・革新派のその問題点は日本社会の現状を反映しているわけであり(それは、まさに「自己責任論」がかなりの人々をとらえてしまう事態と直結しているのだと思います)、社会のあり方そのものをより内在的に分析・批判のする作業を必要としているのではないかと思います。
 少し話が大げさになってしまったでしょうか?