戦争のおぞましさをこれでもかこれでもかと突きつけられて、私はへとへとである。もうこれ以上、ごめん!という気持ちである。
5月23日、仰々しい拉致家族の帰国報道の隙間を縫って、しんぶん赤旗国際面は、米軍の拷問・虐待の新証言が続く。
幕引き図る米政権として、ここ一連の「戦争犯罪」をレポート。記事の中、「解放」の実態としての写真は「裸のまま足首に手錠をはめられ、全身に茶色の物質を掛けられたイラク人男性」。
余りにも辛らつすぎて(?)、糞という言葉はきつすぎて、「茶色の物質」という表現がギリギリのとこなのだろうか。
幸いカラーではないが、こうした事実をぼかす表現は何を意味するのだろうか。
実際私は、今回の米英軍の拷問虐待は、その最中、膨大な数の拷問死があるだろうと、推測している。昨年8月、アブグレイブ刑務所を取材しようとしたジャーナリストが殺されているが、隠蔽された事実は、この写真どころでないだろう。今報道されているものはまさに、氷山の一角であろう。
しんぶん赤旗も、糞を茶色の物質とごまかさなければならないほど、実際は、残虐な未曾有の実態がごまんとあることを読み取らねばならない。
旧日本軍の731部隊、生きたままマルタになった人間がいたし、死ぬまでの経緯を実験したり、ペスト菌をうえつけての観察など、その所業は悪魔のものだった。
戦争は「ケダモノ」になって生きるか、死ぬか。
つまり「にんげん」をやめるか否かの選択であろう。
鶴見駿介氏が「戦場での不服従」をといていたが、今の戦争に服従し(自衛隊派兵)、そうした戦場での不服従を提唱することがどういうことなのか、この戦争体験者として生き残った方は自らの矛盾に気がつかないのだろうか。
人間としていられるときにその尊厳を守れなくて、ケダモノの戦場で何ができるというのだろうか。しんぶん赤旗も、著名人のお言葉になるや、うやうやしく掲載するのだから・・・まあいいか。
ともかく、私達は、まだ、民主主義が残されている今、よれよれの憲法が生き残っている今、最後の声をあげなければならない。狭められつつある言論の自由を、なんとしても、守らねばならない。
表現の自由を縛るような、検閲じみた自粛は、自覚するしないに関わらず、慎重にお願いしたいものである。
戦争はどんどん、進行している。
見える人も見えない人も、さらに、目を凝らしてみてほしい。