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一般投稿欄

大歩危氏の捩れた論理

2004/05/28 Sekio 50代 教員

 改めて劣化ウラン弾、イラク戦争、自衛隊派遣、国民保護法等の一連の大歩危氏の発言を読んでみると、ある特有の論理構造が見えてきます。
1.劣化ウランの環境と人体への影響については立場によってさまざまな見解があるので一つの見解だけで断定するのは如何なものか。
2.イラク戦争は戦前も戦後も変わっていないアメリカの戦略に基づくものである。アメリカは第二次大戦では日本国民に対してイラク以上のことを行っている。
3.自衛隊派遣は人道支援が目的だから憲法には違反しないという解釈ができる。自衛隊員は現地で人道復興支援に汗を流して、イラク国民から感謝されている。
4.国民保護法は、もし敵が迫ってきたときには自衛隊の陣地構築の行動を確保するために必要である。
 これらの字面だけをみるとそれはそうだと言ってしまいそうですが、どこか素直に飲み込めません。その理由は、1-3の議論が共通して、結論としての自分の主張を明らかには述べていない(避けている?)ことにあります。だから他の方との議論がうまくかみ合っていないと言う印象を受けるのです。このような論理の展開の仕方、どこかでよく見ます。そうです。事実を突きつけられたときに責任逃れをする官僚や政治家たちのよく使うあの手法です。
 文脈から読み取れる、隠された結論はそれぞれ、劣化ウラン弾の使用禁止を求める必要はない。アメリカのイラク戦争を止めさせるよう声を上げるのは無用である。自衛隊がイラクで米軍の占領政策を支援することは、人道支援もしているので、イラク戦争の大義に関わらず正しいことだ、ということでしょう。
 劣化ウランについてはさつき氏のご発言で、劣化ウランを環境中に放置することが危険なことであることがよく分かりました。まして、数百トンという極めて大量の劣化ウランを砲弾としてばら撒くことは、戦争の大義は別にしても、地球と全生物に対する犯罪行為です。別の稿で大歩危氏は、「基本的に普通弾と大差のない劣化ウラン含有弾の残留放射能を」と述べていますが、この時点でNGOの報告を知っていたのなら、これこそ一方の言い分だけを鵜呑みにしているのではないでしょうか?
 イラク戦争については、いまさら言う必要もないほど戦争の大義は消え失せ、アメリカの言う民主主義が、結局はイラクにおける利権を手中に確保するための、まさに「戦略」に過ぎないことが浮き彫りになってきました。早く止めよと主張するのが自然な結論です。
 自衛隊のイラクでの活動について言えば、本来の人道支援は、派遣した規模からすれば細々とした給水活動や医療支援に限られる一方、C130輸送機による物資の輸送業務が大きな業務になっていると報じた番組もありました(Newstar)。これらが米軍の占領政策支援には役立っていても、イラク国民にとって本当に役立っているかについてはさまざまな疑問が投げかけられています。決して歓迎する人ばかりではなく、日本が軍隊を派遣したことに憤っている人たちもいます。これを大歩危氏が知らないはずはないでしょう。どちらの見解も見るべきだというなら、この点についてもそのようにされるべきです。
 国民保護法についてはこれらとはやや趣が異なりますが、最大の問題点は、「もし敵が迫ってきたら」と言う論じ方です。現実には、今日のように近代兵器が使われる戦争では、もし敵が迫ってくるような事態が起これば、敵も味方もなく大被害を生じます。沖縄の悲劇をまた繰り返すことになります。ですからこの「もし」は、絶対に起こしてはならないのです。
 大歩危氏は別の稿で、「北朝鮮(金正日政権)に米国やその同盟軍との戦争を企てる意志はないと思いますし、むしろ逆に、米国に金正日体制を保障して貰うのを願っているように思えます。」と述べています。ならば氏は、敵が迫ってくると言う状況をどのように考えているのでしょうか?
 確かに北朝鮮は日本に基地を置く米軍を恐れているはずです。日本海にはいつでも発射できる核弾頭を積んだ原潜が動いているし、これが日本に寄港するときには核弾頭をはずしたなどとは考えられませんから、日本は事実上の核攻撃基地とみなされているかもしれません。とくにイラクへのアメリカの先制攻撃以来、北朝鮮の感じる脅威は高まっているでしょう。いつかテレビで韓国民は日本ほど北朝鮮を脅威と感じていないと報じられていました。
 敵が迫ってきたら、と言う問題の立て方は、拉致事件問題に関連した最近の反北朝鮮の感情をうまく利用した、改憲へのムード作りに利用されている論法です。現実にはそのような危険は差し迫ってはいないし、もし差し迫るようなことがあれば、戦争に反対し、平和を願う全世界の市民の力を結集して止めさせなければなりません。インターネットが発達して国境を越えた市民の力が、かってなく大きな影響をもつようになっている現代、それは可能になりつつあると思います。イラクの人質事件は、国家と市民が違うことを明らかにした点で大きな出来事でした。アメリカが窮地に陥っているように、いまやどんな大国も国際世論を無視して戦争を始めることは困難です。このような力をもっと大きくすること,これこそ戦争を防ぐための最大の力です。
 いずれにせよ、このように現実にはないものをあるかのようにいい、現実に起こっているイラクや米軍兵士の悲劇を分からないと言う議論の立て方は、どこか捩れています。話は飛びますが、有明海で起こっているさまざまな異変を、漁師たちは長年の経験から諫早の水門のせいだと言っているのに、科学的にきちんと説明できないから原因は分からないとして、水門は明けないとする役人の言い逃れと同じ論理構造です。いつもどこかで聞く役人の責任逃れの論法、だから何故か体が拒否反応を起こしてしまうのです。