イラク戦争討論欄5/24、本欄5/27の大歩危さんへ、私の意見です。
1)鳥島のデータでイラクの問題は語れない
対立した見解がある時、根拠なしに相手のデータを疑っては議論は成り立ちません。基本的にはデータの質と解釈が問題な訳です。しかし、世の中には誤ったデータも沢山飛び交っています。誤りと言える根拠が示せれば、そうしたデータは切り捨てます。それが議論というものです。ところで私は、例えば5/23の投稿では、鳥島の環境調査のデータは誤りであるとは書かずに、データがそうなる理由だけを説明しました。一方、大歩危さんの、「基本的に普通弾と大差のない劣化ウラン含有弾の残留放射能」との記述には、政府筋発表さへ意図しないようなデータの拡大解釈が見られ、一方の発表を鵜呑みにした以上の、表現上の誤りがあります。むしろ私には、大歩危さんの方が、政治的キャンペーンに利用され、踊らされているように思えます。
書き足りなかったので補足しますが、鳥島周辺の環境調査は、鳥島の被曝の影響が周辺海域や、住民の住む久米島方面へ及んでいないかどうかを調べる目的でなされたもので、米軍射爆撃場である鳥島陸上部の環境放射能の調査が主たる目的ではありません。調査に当たった専門家の名前が公表されていますが、彼らの出したデータを根拠に「劣化ウラン弾は安全」と一般化し、イラクの問題に拡張適用されたのでは、彼らも困惑してしまうでしょう。そもそも周辺海域への放射能汚染が科学的にも懸念されたので大がかりな調査がなされたのです。ただし私は、その調査手法の欠陥についても指摘しました。イラクでは、湾岸戦争だけでも約320トンもの劣化ウランを含む砲弾が、居住区とその周辺に打ち込まれ、今なお放置されたままです。鳥島での「誤射」は国会で問題になり、米軍は無人の鳥島でさへ劣化ウラン弾の回収を行いました。
2)放射能の将来への影響を広告することは被害者の人権を冒すもの、との主張について。
私は、広島の被爆者で「語り部」として活動していらっしゃるお二方の話を聞いたことがあります。お二人とも、かっては、被曝当時の悲惨な状況を思い出したくない、将来の病気の不安も忘れていたいなどの理由から、自分がそうした活動をすることなど思いもしなかったとのことでした。今も、そういう想いを懐いている被爆者の方も多いことでしょう。そうした想いを持つ個人の内面に土足で踏み込むような無神経な言動は慎むべきです。
ところで、その事と、イラクやコソボでの劣化ウラン弾関連のNGOの活動とにどんな関係があるでしょうか。広島、長崎、ビキニの被曝者の礎の上に、今日の、放射能の危険性についての世界の認識が築かれました。JCOの臨界事故の時も、周辺住民の多くが、既にそうした知識を持っていたので、たちまち環境被曝の問題に発展しました。日本では、周辺住民の多くがそうした知識を持っていることが明らかなので、政府もそれなりの対応をし、隠しようがないので情報公開をしました。劣化ウラン弾の場合はどうでしょう。それを用いた米軍などは「安全である」の一点張りで、そもそも環境調査などやる気がありません。大歩危さんは、米軍の宣伝が行き渡ればイラク人も安心するのだから放っておけば良いと主張されるのでしょうか。
主にNGOによってなされているイラクなどでの劣化ウラン弾関連の諸活動は、癌や「先天性異常」が現に多発していることを受けてなされているものです。私は、私の住む地域で癌などが急に多発し出したら、その事実だけでとても不安になります。周辺環境に異変があるのではないかと疑います。どんな異変があるのか、まずはその実体を知りたい、実体を知ることで、現に存在する危険を一刻も早く回避したいと思うでしょう。自分でできなければ、援助を求めます。その原因が人為的なものであれば、作為者に原状回復と被害の補償を求めます。その補償内容には、将来に渡る危険についても含めたいと思います。原因を知り、同じことが、他の地域においても、今後起きないような方策を立ててほしいと願います。NGOの活動はそうした要求に応えるものです。5/25の投稿の末尾に引用したサイトにある「ウラン兵器の開発、製造、貯蔵、輸送、使用の禁止に関する条約案」をご覧下さい。これが、最終目標の一つとされています。もちろん、治療方法の確立も重要です。
3)一方の見解だけを絶対視するのは良くない、という主張について
議論に専門的な知識が必要とされる場合や、理論的に未解明の問題がからみ、現象面だけからは因果関係の特定が困難である場合など、万人に納得される結論を導き出すのは容易なことではありません。そこで大歩危さんは、難しい問題は、理論的な解明が済むまで結論を保留すべきだと主張されているようです。実害を伴わない論争ならそれで良いでしょう。しかし、議論の一方の当事者が為政者であり、既にその一方の見解を絶対視した施策が実行されており、あるいは不作為があり、それが多数の生命にかかわる緊急かつ重大な問題であるとしたらどうでしょう。そうした状況で我々市民が、難しい問題だからと結論を保留することは、現下の施策と現状を容認することに他ならず、実質的に一方の側に与することになり、そこで生じる加害に荷担することにもなりかねません。始末におえないのは、それが無自覚になされてしまうことです。
まさにそこを狙って、内心後ろめたいことがある時に限って、為政者・権力者は議論を長引かせるような政治的キャンペーンを繰り出します。5/24のSekioさんも言及されましたように、水俣病に代表されるような日本国政府の犯した数々の過ちを振り返ると、共通して、議論が長引くことで被害が拡大していった歴史が浮かび上がります。水俣病が問題になった頃の政府側の主張は、「チッソ」が垂れ流した水銀が原因だと言うのなら無機水銀が有毒な有機水銀に転化するメカニズムを解明せよと、患者・住民側に迫るものでした。大歩危さんの主張は、これと同じではないでしょうか。
大歩危さん(5/27)は「評価が定まるまではまだなお長期間にわたる地道な 努力が必要であり、現状で断定することは出来ないと思います。」と述べられています。「地道な努力」が求められるべきは、水俣病では、患者側ではなく国側であるべきでした。劣化ウラン弾の問題では、イラク国民ではなく米国・軍であるべきです。緊急の問題であるにもかかわらず、それをしないからNGOがやっている訳でしょう。
作為にせよ不作為にせよ、悲惨な状況を目の前にして現状を容認することは、犯罪に荷担することになります。議論が多数の生命にかかわる緊急かつ重大な問題であるなら、我々市民としては、現象面だけからでも自分なりの判断を下し、施策にストップをかける権利はある筈です。私は、税金から支払われる国家賠償・補償金などは、「それ」を止められなかった一般市民への罰金と考えています。私達は、これまで何回、そうした罰を受けてきたことでしょう。まだきちんと払っていない罰金も山ほどあるのです。
劣化ウラン弾については、被害補償を求められる可能性のある米軍が、NGOの調査活動を執拗に妨害するのは、ある意味当然かもしれません。1000歩譲っても、米軍の主張には全く理も分もありません。自らの主張に自信があるのであれば、データを秘匿することだけでもやめるべきです。米国は、この問題での議論でも、今後、国際的な孤立を深めるでしょう。どちらが政治的キャンペーンに利用されているのか、やがてはっきりすることですが、私は傍観者ではありたくない。