「傍観者」さんの投稿に、例のごとく長壁さんが噛み付いている。
「傍観者」さんの趣旨は「相手の立場も考えて、乱暴な言葉、非礼な言葉は慎みましょう」これだけのことである。
それに対する長壁さんの反応が凄まじい。
・水を差した
・「さざ波闘士」を揶揄しえらそうに、冷ややかに分析した。
・批判の矛先を変えよ
・二匹目のゆで蛙だ。
・さもなくば、形を変えたネット右翼か?
更に「対岸の火事を傍観なさっている」という決め付けに至り、又「許しがたいそうしたのノンキさ」となる。
論理の飛躍ということがあるが、これは飛躍云々ではなく、滑稽なくらいの「ヒステリック」なすり替えである。なぜならば、「傍観者」さんの主張と長壁さんの反撃が、何一つ繋がっていない。
私は「傍観者さんの乱暴な言葉、非礼な言葉は慎みましょう」には賛成です。ご指摘のように、さざ波で、一部に登場する「乱暴」「非礼」な言葉使いは、一般社会では全く通用しない。相手の気持ちも慮って発するのが、一般社会の基本的マナ-といえるものだからである。
もうひとつ、「二匹目のゆで蛙」発言について。これはれっきとした「レッテル」張りである。マナ-の呼びかけに対して、気に入らないから「レッテル」を貼って、排斥する。戦前、軍部が多用した「非国民」「売国奴」「アカ」等々の「レッテル張り・排斥」と同じ危うさを感じる。あるいは、「革マル」「日本赤軍」の内ゲバ的排斥と同じ危うさも感じる。
レッテルを張って排斥ばかり続けていると、このさざ波で討論する意味がなくなる。もっと言えば誰も見なくなり、遠ざかって行く。討論するとは、ひとつの事象に対して、見方を変え深め合ってこそ、価値がある。投稿規程に則ることを再度原点にしたい。
長壁さんに言いたい。革命(闘争)は共産党員だけで丸裸でするものではないのですよ。主体は大衆が決起して進めるものです。共産党員はそれを指導する役割です。党員であるあなたが、自分の主張と違うもの、あるいわ気に食わないものを徹底して排斥してどうするのですか?
<管理人コメント>本投稿と同じものを4/29に受信しておりましたが、見落としてしまい、掲載が遅れましたことをお詫びいたします。