寄らば大樹の陰さまの憲法についての投稿にあった「戦後革命が共産党の裏切り?とアメリカの武力によって鎮圧され・・」という項について当時の状況をよく知らない者として関心をもちました。?が挿入されている事から見て現在も評価がわかれている事かとも思いますが、教示していただければ有難いです。憲法記念日の集会で小森陽一さんの熱ある講演に心動かされました。講演で一番印象に残った事は「日本国憲法は権力をもつ側を縛るもの」である、という部分でした。浅学な私ですが、国が人々の思想信条を犯してきた(当時真っ先に犠牲にされたのは知られているように高徳秋水、大杉栄や小林多喜二をはじめ多数の共産党の人達)ことを取り上げてみるだけでもまさにそういう事なのだと分かってきます。当時アメリカ占領軍にとっても、マインドコントロールされた日本軍との戦いの熾烈さが記憶に新しかったのでしょう。いまこそ二度と戦争の惨禍を繰り返さない為に、日本国憲法は誰の何を守るものか、ということが見えてきた時代なのではないでしょうか。戦争に引きずられない為に表現する自由を行使するのも、君が代の強制に屈しないのも、日本国憲法に基づく行為であるし、国の行っている行為こそ違憲を問われてしかるべきものが多々あることから「改憲」「創憲」「加憲」論と目先を変えて縛りをゆるめようとするのだと考えます。こんな時、共産党は輝かしい過去の遺産を反故にし(いいすぎ?)組織のうちうちの事ばかりに専念しているような印象を受けます。これは、私の共産党に対する期待から発する勝手な言い分であることを認めます。共産党の存続は守らなければなりません。でも、もっと自組織に属さない人であっても志を共にする人々と連携してほしい。相手を指導対象者としてでなく、一致する地平における友人として言葉を交わす気風を育ててほしい。そのことが本当の意味での共産党の発展の足場を築くものだ、と私は信じて疑いません。